#3 言葉はブーメラン
息苦しさを良く感じる事がある。
それは、なんとも言えない目に見えないものだから余計にややこしい。
と、カッコつけて言ってるが、
内省している人たちの考えを聞いたり見たりしてただ単に影響を受けているだけかもしれない。
それでもなんだか、自分も含めて世の中の
(この世の中や世間という括りをした時に
いや具体的に誰だよって思うのも含め)
おかしな感じが消えてないように思う。
なんというかなんとも言えないモヤモヤ感。
世間に対する(または自分に対する)疑問や不安や不信感など。ちょっとおかしいんじゃないか?このままで大丈夫なの?みたいなことが身の周りによく起こる。
sns でのリプライでよくそんなモヤモヤをよく見かけます。
(もちろん見なければいいのですが)
誰かが何かを言う。
「それは違うぞ。間違っている。」
「信じられない、失望しました。」
「あなたは絶対にこうすべきだ。」
当事者でもないのに周りからツッコミを入れる。
その、
不特定多数の人が見てるが故に発した言葉が、
沸点の低い感情を簡単に表現した言葉が、
何も思いやりがない言葉が、
口にはとても出せないような言葉が、
実は、全て自分に返ってくるブーメランだとしたらどうだろうか。
どういうことかと言うと、
自分自身の価値観を発信する。
それに対して合ってる間違ってるなんてのはそもそもないはずだ。
だって、その人がそう思ったんだから。
(マナーや道徳などもあるけど…)
しかし共感できないからと言ってその全てを否定しようとする。
しかし、否定されれば相手も否定したくなるもの。
そこで言い返すと、
「大人なんだから。」と言ってごまかす。
その「大人なんだから。」と言ってる人にこそ「大人なんだから、共感できない価値観を全て否定していいのか。」と聞いてみたいくなる。
というように言ったことが全部ブーメランのように自分に返ってきてしまうことがあると思う。というかほとんどのことがブーメランで後頭部に直撃してる。
しかしそうなってしまうと、じゃあ自分が完璧でなければ、何も言い返せないじゃないか!となってしまう。
そりゃそうだ。
だって自分が正しい、正義だと思ってるからそれに対しての悪を成敗してるだけだもんな。それはとてもよくわかる。だって、この発信すら自分の正義(正義というにはあまりにも弱いが)だからだ。
なので、僕が伝えたいことは、
色々な事柄を自分の価値観だけで
「良い」「悪い」と判断するのではなく、
自分の価値観で、「好き」「嫌い」と言うのはどうだろうかということだ。提案するほど読んでないかもだけど、自分への宣言も兼ねて書く。
好き嫌いは誰でもあるものなので、全肯定全否定よりも少し和らぐ。はずだ。
できるならば、「嫌い」と言われるのはいい気分がしないから、伝えない方がいいかなと。
また実際にやってみるのは、すごくいい。食わず嫌いになることが多いので。その上で嫌なら距離を取るべきだ。やったことがあるのとないのでは大きく違う。
ただ、自分が苦手なものを排除しすぎても
人のシムテム上おかしなことが起きるので、
バランスが必要ではあるが。
そしてさらに付け加えるならば、「そういう考えもあるよね」とか、「なぜそう思うのか」と相手を思いやって、寛容まで出来るといいよなー。うん。
もっともっと良いのは、その価値観を好きと伝えることだよね。なかなか恥ずかしくて言えないけど。
それが「いいね」でもとても素敵なことだ。
だが、本当に思ったことを言葉にして伝えることってなかなかしないので、これを機に言葉に想いをのせて伝えることをしてみてはどうだろうか。
言葉はブーメラン。
想いをのせた分、
どれだけ大回りして風が吹いて明後日の方向に行ったとしても必ず返ってくる。
返ってくると信じている。
その分、投げ方は練習しないとダメだ。
意識して投げてるうちは返ってこないかもしれない。
上手く投げれないかもしれない。
だが、それは、できないことができるようになる時と同じで、いつの間にか、返ってくるはず。
それが、いつ投げたのかもわからない時もあるかもしれない。
要は、
「人の振り見て我が振り直せ」だな。
いやわ
「人の投げ見て我が投げ直せ」でした。