vol.26「美容室」雨水 2/18〜3/4
自分がお店を実際に営むことになるなど思いもしていなかった頃、「もし自分がお店をやるなら」と頭の中で空想していたのは「床屋さんのような雰囲気のお店」だった。ガラスが入った入口の重い扉、そして白いタイルが貼られた壁。窓からは明るい光が射し込み、店内は古いながらもさっぱりとした清潔感があって。そこで丁寧につくられたものとともに、一角ではおいしいコーヒーと紅茶でひと息つける喫茶スペースがある小さなお店。今、こうして文字にしてみるとどこぞの少女の夢みたいで恥ずかしくもあるが、そんな想像を膨らませてはひとりで楽しんでいた。
なぜ床屋なんだろう?と自分でも不思議なのだが、おそらくそれは幼い頃に兄と一緒に髪を切りに行っていた床屋の記憶へと繋がっている。そのお店は橋のたもとにあり、子どもの足でも自宅から歩いて行くことのできる距離にあった。のどかな川沿いの道を兄とてくてくと歩きながらお店に着いて扉を開けると、いつも清潔ないい匂いがした。店主のおばさんが真っ白に洗濯した布をバサッと広げて首に巻くと、二人ともてるてる坊主のようだと鏡越しにお互いを見ながらケタケタと笑い転げていたっけ。襟足や顔を剃ってくれていたのか、それともおまけでおばさんがやってくれただけだったのかは忘れてしまったけれど、たまにシェービングクリームを柔らかなブラシで塗ってくれた。ゾクゾクとするようなくすぐったさと気持ち良さ、クリームの良い香りの記憶だけは残っている。好きという理由をいちいち考えるにはまだ幼すぎたけれど、今思うとサバサバとして明るく楽しいおばさんの人柄、そして新しいお店ではなくてもいつもきれいで落ち着く空間や、窓から見える川の景色、光などが丸ごと好きだったのだろう。
そんな記憶を辿る空想店舗のイメージが、まさか本当に役立つことになるとは思いもよらなかった。お店を始める時には内装を作り込むような予算も条件も整ってはいなかったけれど、出版社の一角で間借りをしてスタートしたお店のすぐ近くには隅田川が流れていた。
三春の現在の店舗物件を見つけてくれたのは夫だ。貸店舗ともなんとも看板が出ていたわけでもないが、でも明らかに空いていたその物件は美容室で、東京のお店にもどこか似たところがあった。そこは大家さんのお母様が一人で切り盛りをし、美容室として長く続けていたお店。レンガタイルの外観に、はめごろしの大きな窓のコーナーはラウンドしていて、当時はかなりモダンな造りだったことだろう。その窓の下には小さいながらも花壇まである。お母様が亡くなられたのは急なことだったようで、その後使い手を失った道具や什器たちは行き場がないまま数十年が過ぎていた。壁沿いにはいくつか鏡が掛かっていて、懐かしいパーマ椅子も並んでいた。奥にはシャンプー台の場所もあり、壁にはタイルが貼られて。店舗内を見せて頂いた時は「あ!ここだな」というひらめきのようなものは感じたけれど、果たしてどこまでどのように改装をすれば良いのか、正直見当がつかなかった。「床屋さんのような」というイメージはあっても、それはあくまでもイメージで、実際には私はお店はシンプルな箱のようであればそれで十分だと思っていた。あとはそこに並ぶモノの魅力を最大限に引き出せるように、どう整えていけば良いのかを考えるだけ。それも大層なことではなく、掃除をして居心地をよくしてひとつひとつのものたちに光を当てていくという、ただただシンプルで当たり前のこと。大事にしたいのはイメージの中のあの床屋さんの清々しい空気。直感と何の根拠もない「大丈夫」という自信を頼りに三春でのお店づくりは始まった。
三春での改装工事が進むその一方で、私は東京で2016年の2/20までin-kyoを営業していた。その後も月末の引き渡しまでに友人に手伝ってもらいながら撤収作業。いろんなことが同時進行で、余裕が一切なく記憶もおぼろげだが、モノが運び出されてガランとした店内に、大きなガラス窓から柔らかな光が入ってきていたことはよく覚えている。冬の終わりと春の始まりのような光。
私が3月に三春へ引越しをしてからも改装工事はまだ行われていた。工事を始める前に、美容室に残されたものの中からひとつ、譲って頂いた什器の棚がある。その棚のガラスはどこも割れている箇所もなく、磨き上げてみるとピカピカ。初めからそこにあったかのように、他の什器ともしっくりと馴染んで、美容室の店主に見守られているような心強さも生まれた。
工事が終わってから約一ヶ月かけての開店準備。ご近所の方が何が始まるのかと窓越しに様子を窺っていらしたり、声をかけて訊ねられたり、
「雑貨屋って聞いたけど、100円ショップじゃないの?」なんてことも言われたなぁ。
美容室だった場所で三春のin-kyoは始まり、東京のin-kyoだった空き店舗には美容室が入った。そしてどちらにも近くには川が流れている。巡り巡る偶然。季節もまた巡る。