vol.24 「家」大寒 1/20〜2/2
「小さくて感じのいい平屋の空き家があったよ。
千葉の隠居みたいだったよ」
私がまだ東京に暮らしていた頃、三春で物件探しをしていた夫からそんな連絡があったのはかれこれ6年前。見つけた当初は借りることすら叶わず諦めていた平屋の家。その後も前を通るたびに「いい家だなぁ」とつぶやいていた。小さな家の背後にはケヤキの木がのびのびと育ち、気持ちよさそうに葉を風にそよがせていた。ピーチクパーチクと鳥の鳴き声が聞こえてきてなんとものどか。井戸もポンプを取り替えればまだ使えそうだし、庭には小さな物置小屋もあってそこに漬物や味噌桶、保存食の瓶などを並べたらさぞかしいい景色だろうと妄想ばかりが広がっていた。が、どうにも話が前に進まなかった。それが時間と物事がめぐりめぐって今、こうして住めることになったのは、土地の神様の采配としか思えない。築70年近くになるこじんまりとした平屋の家は、漫画の「サザエさん」の家のようでもあり、現在は建て替えのために取り壊され姿を消した、実家の隠居にも似たどこか懐かしい雰囲気があった。一目見たときから夫も私もその佇まいが気に入ってしまったのだ。
実家にあった祖母が寝起きをしていた離れの平屋のことを、家族は皆、「隠居」と呼んでいた。店名の「in-kyo」は、その隠居と祖母にまつわることなどを象徴してつけたものだ。明治生まれの祖母は足腰が丈夫で、90歳近くまで掃除や洗濯など自分のことは自分でやって、庭の草刈りや季節の仕事、ぬか漬けを漬けたりかぼちゃを煮たりといったことまでマメに体を動かして難なくこなしていた。大相撲が好きでテレビを見てはよく笑い、「私は食いしん坊ですから」という言葉の通り、体は華奢なのに食べることが大好きだった。思い返すと服装もスカートと靴下の丈のバランスの良さとか、それに合わせる前掛けの選び方とか、何かというとササっと着ていた着物姿とかが洒落ていた。祖母とはよく口喧嘩もしたけれど、尊敬もしている。無意識のうちにずっと背中を追っているようなところがある。祖母にもっと聞いておけば良かったなと思うあんなことやこんなこと、残そうと思わなければ残らない他愛もない日常の、でもかけがえのない大切なこと。私が今好きなもののルーツを辿ると、祖母との思い出とともに隠居の記憶が蘇るのだ。
今の家は記憶と思いを重ねるように、自分たちが気に入った外観にはできる限り手を加えずに、家の中を基礎から柱まで全て入れ替えてフルリフォームした。要となる部分は職人さんや業者の方にお願いをして、その他は自分たちで壁を塗ったり、収納棚を作ったり。古い家を壊して新築した方が、どれだけ手間と時間がかからずに済むかもわかっていながら、実験をするように自分たちの手でできる範囲の機能と住環境を整えていくことにした。 極寒の最中、体にいくつもカイロを貼り、慣れない手つきで漆喰を塗ったことも今ではいい思い出。細かく入ったヒビも、まだらになっている壁もご愛嬌。友人たちにもたくさん手伝ってもらったお陰で愛着もひとしおとなった。それに何かあれば相談ができる大工さん、植木屋さん、薪ストーブの下に石を敷きたいと思えば石屋さんが、そして薪屋さんまで町内にいてすぐに手配をして下さるというそうしたひとつひとつが心強い。
年中行事や季節の手しごと、料理、庭仕事、生活の知恵や塩梅。祖母のように私が暮らしのいろはを自然にこなせるようになるのは一体いつのことになるのだろう。丁寧に暮らすということでも、特別なこととしてでもなく、淡々とした私の日常のこととして。祖母の時代とも、土地柄や環境も違うこの三春で、移りゆく季節の風景を咀嚼するように、じっくりと味わいながら、そのときそのときの自分たちなりの暮らしのかたちを見つけていこう。あえて日常に慣れてしまわないように、立ち止まらなければ見逃してしまいそうな、キラキラと輝く小さな石ころを拾い上げて、手のひらの中で愛でていたい。
冬の晴れた日には、高台にある家の窓から遠くに雪化粧をした安達太良山がくっきりと見える。空気がキーンと冷たく澄んでいるお陰で、どの季節よりも山が近くに感じられることが嬉しい。三春タイムズで取り上げるニュースは、こうした取るに足らない、でも残してずっと眺めておきたい一枚の写真のようなものなのかもしれない。