見出し画像

vol.30「ままごと」穀雨 4/20〜5/4


 春がいっせいにやって来て急ぎ足で私の目の前を駆け抜けていく。待って待って!と叫んだところでその声はどうやっても届かない。我が家の小さな庭でさえ日々の様子は目まぐるしい。昨年はあの辺りにあったはず!と、目星をつけて腰をかがめながら注意深く探し始めると、枯葉の間からぴょこぴょことフキノトウが今年も律儀に淡い黄緑色の頭をのぞかせていた。

「天ぷらにするならもう少し大きいのがいいなぁ」

そんな風にこちらが食い意地を見せている隙に、フキノトウはあっという間に花開き、天ぷらは泣く泣くあきらめてふき味噌に。泣く泣くなどと言いつつも、ふき味噌だって楽しみにしていた春の苦味。ご飯のお供はもちろん、三角揚げに挟んだり、クリームチーズに混ぜればちょっとしたおつまみとなる。ツクシは気配すらなかったというのに、一晩のうちに芽を出したのだろうかと思うほど、いつの間にかいたるところにニョキニョキと生えている。その姿はまるで『ムーミン』に出てくるニョロニョロのようで、話し声まで聞こえてきそう。友人の実家ではお母さんがツクシを塩茹でにして春を味わっていると聞く。ならば私もと、ニョロニョロたちをザルいっぱいに摘んでひたすら袴を外し、ツクシのきんぴらを作ってみることにした。山ほどあったツクシは油で炒めるとしなしなとカサが減り、出来上がってみればほんの一握り。それでも小鉢に盛れば春の一品、お店では買えない味になる。背丈が伸びたら草刈りどきには邪魔者扱いされがちなヨモギだって、やわらかな若葉の頃は大歓迎。友人に教わった通り、やわやわな新芽はそのまま細かく刻んで、炊きたてご飯にゴマや梅干しと一緒に混ぜたり、お味噌汁に入れるのもいい。独特の蒼い香りが口の中に広がって鼻へ抜ける。まるで春の洗礼を受けたような清々しさだ。少し育った葉っぱは、塩と重曹を少し入れたお湯で茹がいて、水に晒した後はミキサーへ。たくましい繊維があるのでなめらかなペースト状にとはなかなかいかないけれど、これを作っておけばヨモギ餅もパスタなどの料理にも気軽に使えて重宝する。冷凍にしたり、オイル漬けにしておけばさらに保存も利くことでしょう。
 気づけば庭が台所になっている。買って来た食材で料理をするのとはちょっと違う。しゃがみこんで土と草の匂いを感じながら手を動かすこの感覚。畑仕事ともまた別の、この懐かしい感じは一体何だろう?

「ままごと」という言葉を久しぶりに声に出してみた。そうだ、私がちまちまと庭でやっているこれはまさに「ままごと」だ。三春の今の家で暮らすようになって、その言葉を数十年ぶりに思い出し、そして実家の庭へと記憶がワープした。
 子供の頃は実家の庭でよくままごとをやっていた。幼い頃は体があまり丈夫ではなく、すぐに熱を出したりするものだから保育園や幼稚園も休みがち。外を駆け回ったりするよりも、家の中で本を読んだり絵を書いたり、庭で静かにできるままごと遊びが好きだった。おもちゃの小さな器や母が使わなくなった台所道具やらを庭に広げ、草花を使って作った創作料理。タンポポやオオイヌノフグリはお気に入り。ぺんぺん草(ナズナ)や赤まんま(イヌタデ)、オオバコ、カラスノエンドウの名前は、当時は知らなくてもよく目にする顔見知りの雑草たちだった。お砂で作ったご飯をよそって、仕上げにお花を飾れば出来上がり。「いただきます!」ハフハフと食べたふりをして「ごちそうさま」祖母がすぐ近くで庭仕事をしている姿が視界にあることで、安心しきって一人で遊ぶことに夢中になっていた子どもの頃。
 そういえば祖母も庭からの収穫で春の料理を作っていた。ふき味噌の時期を終えたらふきの煮物。シワが深く入った指先をアクで黒く染めながら、ふきの筋を取っていたっけ。痩せて骨ばった手は休まずよく働いていた。祖母が作る季節の風味は、幼い子どもが味わうには難しかったけれど、その器が食卓に並んだ風景だけは覚えている。
 あれからいくつも歳を重ねているというのに、なんだかちっとも変わっていないと思うと可笑しくなった。違うことといえば春の美味しさを知るようになり、ままごとの延長ながらも、ちゃんと食べられるものを作るようになったということくらいだろうか。
 さて、そろそろ敷地のヤブ林にはタケノコが頭を出し始める頃だろう。春の雨上がりなどはタイミングを見逃さないようにしなければ。庭にバーベキューコンロとテーブルをセットして、まずは採れたての穂先をサッと湯がいてタケノコのお刺身に。皮ごとアルミホイルに包んで薪ストーブに放り込み、ホクホクの蒸し焼きにしたものも美味しい。茹でてから炭で焼いて、シンプルにオイルと塩で食べるのもタケノコそのものの香りごと楽しめる好みの味。翌日のタケノコご飯には庭の隅っこに芽を出す山椒の葉を添えて。タケノコ掘りは、「産直はせがわ」夫の担当。 大人になってからの「ままごと」は、この土地の季節の恵みから面白さを教えてもらっている。