vol.28「ひと坪農民」春分3/20〜4/3
いつの間にかずいぶんと日が延びた。時計の針が閉店時間の17時をまわり、さて看板をしまおうかと表へ出ると、夕暮れ時とはいえ空がまだ明るい。吹く風はまだ冷たくても、季節は一歩一歩春へと歩みを進めていることに気づかされる。
自宅の庭先にも春の気配がそこかしこに。福寿草の群生や、柔らかなヨモギの新芽。ツクシがニョキニョキと顔を出し、大好きなオオイヌノフグリが目を覚ましたように爽やかな青い小さな花をたくさん咲かせている。しゃがみこんで辺りをよく見渡せば、淡い黄緑色のふきのとうの姿も見つけることができる。もう少し経てば筍や野生の三つ葉も顔を出す。草花たちが冬の寒さから目を覚まし、ワイワイガヤガヤと声まで聞こえてくるようだ。 食いしん坊は、早くもどう食べようかなんてことまで考えている。ヨモギやふきのとうはまず天ぷらにして、他にもヨモギは新芽のうちに友人に教えてもらった通り、塩茹でしたものを細かく刻んで混ぜご飯に、ふきのとうは蕗味噌にもしたい。ツクシは佃煮にしてみようかなどといったお品書きが頭に浮かぶ。何も手をかけてもいないというのに、小さな庭から自然の恵み。今の家に住み始めたことで、素朴ながらも季節のご馳走を楽しませてもらっている。
庭の隅っこにはほんの少しのスペースがあって、そこで小さな家庭菜園を始めて、自分でも野菜などを育てることができたらなどと、引越しをした時から考えていた。けれども引越しをしてすぐには家の中のことで手一杯で、庭の作業に取り掛かれないまま季節は冬へ。その間に鍬などの道具を揃え、本を買い込み知識と心の準備は万端にしたものの、いざ実践作業となると果たしてこれでいいのだろうか?とわからないことばかりが出てきて足踏み状態となった。ジャガイモの種芋は一体どこで買ったらいいのだろう?それすら知らない。そんな素人農民を助けてくれたのが「えすぺり」の大河原 伸さんだ。種芋の他にも畑の広さや土の具合などに合わせて、ふかふかの土や自家製の肥料、鍬などの道具一式を持参して下さって、荒れた土地をあっという間に畑らしい姿に耕して整えて下さったのだ。
「僕はね、ひと坪農民がどんどん増えていったらいいなと思っているんですよ。」「ひと坪農民」というネーミングは伸さんによるもの。ひと坪畑のひと坪農民。なんていい響きなんだろうととても気に入っている。こんな小さな場所ではできることも限られているし、食べられるものを果たして自分に育てることができるんだろうか?などと思っていたけれど、「それでいいんだよ。まずはやってみること」と伸さんに言ってもらえたようで嬉しかった。新米ひと坪農民は伸さんに倣って鍬を土に振り下ろし、振り下ろしして、じんわりと汗ばみながら初めて種芋を植えた。背中を日に照らされながら土に触れているだけで、なんとなく心が静かに落ち着いていく。大地はトゲトゲしたものを溶かして、いつの間にかどこかへ流してくれる。頭など通り抜けて理屈抜きに体が理解している感覚だ。
今、こうして当たり前に土に触れることができていることすら実は奇跡なのかもしれない。ふきのとうだ、何だと季節の恵みと今喜んで口にしているものも、10年前に起こった震災による原発事故の影響で、数年前までは味わうことができなかったのだから。
2011年に起きた震災。当時私は東京に住んでいたが、やはり何年経とうが毎年3月は特別な月で、自分でも気づかないうちに少しナーバスになっている。それまではぼんやり、のほほんと呑気に生きていたけれど、あれから暮らし方というものを自分なりに真剣に考えるようになった。大きな力の恩恵を受けて生きていることも重々承知しながら、でもそれに頼りきらず、何かが起きても最低限自分の手で作るものの中でも生きていけるようにするには何をしていけば良いか。それは何も眉間にしわ寄せて考えたり、大きな声をあげて訴えるのでも、作り出すものでもなく、目の前のことを丸ごと楽しめるかどうかということ。人から見たら大変そうに思えることも、いかに面白がることができるか。誰のせいにするのでもなく、自分が何もできない小さな人間かもわきまえた上で分相応にやれることを。
食べもののこと、モノとの関わり方、本当の豊かさについて。ぐるぐると思いが煮詰まるときも土に触れるとモヤモヤしたものがスーッと晴れていく。田畑を耕し、常に自然に触れている伸さんは、いろんなご苦労や思いを抱えているはずなのに、お会いするときはいつも大地のようなとびきりの笑顔なのだ。