【劇評152】梅枝の十二月。

これまで、ブログに劇評を151回、書き継いで来ました。
これからは、NOTEに劇評を先行して、アップすることにいたしました。

 歌舞伎にとって、むずかしい局面が続いている。

 歌舞伎座は、基本的に「ミドリ」の興行を続けている。つまり、通常、昼の部と夜の部にそれぞれ三本から四本の狂言を並べている。当然のことながら、すべてが最高水準の舞台であるはずもない。

 こうした現実は、急に起こったわけではない。「ミドリ」の宿命かも知れない。けれども、以前、新聞劇評を担当していたとき、すべての演目について触れなければいけないのは、正直言って苦痛だった。

 このことは、はっきり書いていた方がよいと思う。恐らく、観客の少なくない方が、同意されると思う。

 私の父の世代は、意欲がそそられない幕があると、食堂で麦酒を飲んでいたりした。この頃は、万事がせせこましくなっているのか、こうした自由人が、観客に見当たらなくなっているのも残念である。

十二月の歌舞伎座では、まず、梅枝の奮闘を特筆したい。

 昼の部は、『阿古屋』。梅枝にとって二度目の挑戦になるが、琴、三味線、胡弓、いずれの演奏も安定している。 平成三〇年の十二月の初役とは、別の境地をめざしている。

ここから先は

575字

¥ 100

年々、演劇を観るのが楽しくなってきました。20代から30代のときの感触が戻ってきたようが気がします。これからは、小劇場からミュージカル、歌舞伎まで、ジャンルにこだわらず、よい舞台を紹介していきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。