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【劇評333】普遍的な物語に、歪みを与える。『母 La Mère』の魔術的な時空。

 人類には、時代を超えて繰り返される物語がある。

 母親の息子に対する恋着、子供の成長によって孤独な老いを迎える恐怖、冷え切った夫婦関係につきまとう疑惑などが、この『母 La Mère』(フロリアン・ゼレール作、齋藤敦子訳 ラディスラス・ショラー演出)には、詰め込まれている。いずれも、時代や国境を越えた普遍的な物語である。

 ただ、普遍的だということは、画一的な舞台に回収される怖れがある。この物語の中で、母アンヌ(若村麻由美)、息子ニコラ(岡本圭人)、息子の恋人エロディ(伊勢佳世)、夫ピエール(岡本健一)は、典型的な家族の春夏秋冬を生きている。アンヌは帰宅が遅くなったピエールの不倫を疑っている。アンヌは成長してこの家から巣立っていったニコラに、何度も何度もメッセージを送る。アンヌはエロディの名前を覚えられないくらいその存在を憎んでいる。図式的な関係性でさえある。

 この普遍的な家族の物語に、現在性を持たせ、観客を揺さぶるために、劇作のフロリアン・ゼレールと、演出のラディスラス・ショラーは、いくつかの手立てを用意している。

 ひとつは、同じシチュエーションの場面を、ずらしつつ、二度繰り返す手法である。この劇作、演出によって、ここで起こっている「事件」には、絶対的な事実などない。アンヌだけではなく、さまざまな人物の意識、無意識が絡み合っているように見せている。あるいは、ひとつのシークエンスが、はじめはアンヌ、次はピエールというように、ひとりの意識、無意識に回収されることも避けている。そこでは、家族たちの妄想が、繰り返し、せめぎあっているかに思える。

 次に感情の振幅の激しさである。

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年々、演劇を観るのが楽しくなってきました。20代から30代のときの感触が戻ってきたようが気がします。これからは、小劇場からミュージカル、歌舞伎まで、ジャンルにこだわらず、よい舞台を紹介していきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。