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【劇評363】撞球室の宇宙。天海祐希と井上芳雄の『桜の園』で、球の行方をひたすら追う。
ガーエフは、なぜ、そこまでビリヤードに打ち込んでいるのだろう。
貴族階級の趣味として、ビリヤードはめずらしくはない。読書室とともに撞球室があるのは、館の象徴といってもいい。一族のなかで兄として生まれながら、趣味に熱中し、家計に無頓着なガーエフは、妹のラネーフスカヤに家督をゆずっている。そんな情けない兄もビリヤードの腕前だけは、それなりなのだろう。山崎一のガーエフは、趣味人の風をまとって、この館を動き回る。
さらにいえば、今回のケラリーノ・サンドロヴィッチ演出は、ラシャを張った石板を、どこまでも滑っていく球の動きを優雅に描いていた。そこでは、人間と人間の対立よりは、ぶつかっては離れ、隅のポケットへ向かっていく動きのおもしろさが際立っている。
もちろん、プレイヤーがキューで突く手球にあたるのは、天海祐希のラネーフスカヤである。パリから列車での長旅で領地に帰り着く貴婦人は、現れただけで、周囲にいるあらゆる人びと、すなわち的球へ動きを与えている。
ポケット競技で、四隅と長辺の間にあるポケットへと、人びとは導かれている。ラネーフスカヤが意図しているのではない。圧倒的な魅力は、人びとがそこに立ち止まることを許さない。あたかも必然であるかのように、終結点へと動かされていくのだった。
天海祐希のラネーフスカヤは、出の瞬間から、特権的な人間だけが持つカリスマを備えていた。
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年々、演劇を観るのが楽しくなってきました。20代から30代のときの感触が戻ってきたようが気がします。これからは、小劇場からミュージカル、歌舞伎まで、ジャンルにこだわらず、よい舞台を紹介していきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。