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【劇評292】那須佐代子、凜による『おやすみ、お母さん』。人間の真実をふかくえぐり出す傑出した舞台。

 母と娘が、容赦なく、これまでため込んできた思いを言葉にする。

 マーシャ・ノーマンの『おやすみ、お母さん』(小川絵梨子翻訳・演出)は、セルマ(那須佐代子)とジェシー(那須凜)の親子の人生を、台詞劇として凝縮している。

 八二年に初演され、八十三年度にピューリッツアー賞を受賞した戯曲を初めて観たとき、私はテネシー・ウィリアムズの『ガラスの動物園』を思い出した。この作品は、強烈な個性を持ったアマンダと繊細な神経のローラが登場する。
 この『おやすみ、お母さん』は、年代の違うふたりのアマンダが、言葉の格闘技を展開する舞台だと思った。

 今回の上演では、現実の母娘である那須佐代子と那須凜が、俳優としての技量の限界に挑むほどの演技を見せている。

 怒り、罵り、宥め、許しを請う。ジェシーが持ち出した「死」をめぐって、ふたりは人間が抱え込んだ全ての感情をさらけ出している。その賭け金の高さに、観客は圧倒されずにはいられない。


 ジェシーには、てんかんの発作を起こす持病があるとの設定になっているが、実はこの病は、劇の要素の一部分に過ぎない。それぞれの夫との関係、愛情があったのか、なかったのか。家庭のなかでの支配と被支配。どんな家でも、密かに抱え込んでいる問題を私たちに突きつけてくる。

 小川絵梨子の演出は、台詞の一言一句にいたるまで緻密な読み取りが行われたとわかる。この読み取りを、台詞として、表情として身体化したのがふたりの女優である。

 那須佐代子は、その細い体躯に、なぜここまでエネルギーが隠されているのかとさえ思う。劇の終盤、観客席に正対する場面があるが、この時の圧力が、凄まじく、まるで観客は猛獣に襲いかかられたかのような恐怖に襲われる。また、ジェシーの決断を受け入れてからの繊細な心のうちも、弱音を駆使して描き出している。

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年々、演劇を観るのが楽しくなってきました。20代から30代のときの感触が戻ってきたようが気がします。これからは、小劇場からミュージカル、歌舞伎まで、ジャンルにこだわらず、よい舞台を紹介していきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。