花組芝居の『レッド・コメディ』を観ながら、思い浮かんだ感想いくつか。
さしたる根拠がないので、劇評には書きにくいことがある。
今回の『レッド・コメディ』は、『一條大蔵譚』の長成が、意識されているような気がしてならなかった。加納幸和演じる葵は、桂木魏嫗として歌舞伎の舞台に立っていたとき、硫酸による暴行に巻き込まれた。本作のほとんどは、東新聞社主の田岡の庇護のもとに、狂気を癒やしているという設定になっている。
狂気といったが、加納が演じる葵は、実にわがままいっぱいで、かわいらしい狂いであり、愛嬌にあふれている。青年川野に、いたずらを仕掛けたり、口をすっても憎まれたりはしない。
『一條大蔵譚』の一条長成は、実は聡明な人物でありながら、平家を欺くために、清盛の妾常盤御前を手元に引き取り、阿呆のふりをしている。この「作り阿呆」が加納の芝居の組み立てに影響を与えているように思えてならなかった。
もちろん具体的な確証はない。
年々、演劇を観るのが楽しくなってきました。20代から30代のときの感触が戻ってきたようが気がします。これからは、小劇場からミュージカル、歌舞伎まで、ジャンルにこだわらず、よい舞台を紹介していきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。