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七人の作家が執筆禁止になる。公職追放は、日本文学報国会に及んだ。(久保田万太郎、あるいは悪漢の涙 第四十四回)

時代を少しすすめて、終戦後の話に飛ぶ。

公職追放

 第二次世界大戦が終わると、演劇界もまた戦後の主導権争いで騒然となった。これまで弾圧されてきたプロレタリア演劇の側から、戦争中に当局に協力した者の責任追及を求める声がおこったのは当然のなりゆきであった。

 戦犯(戦争犯罪人)、パージ(公職追放)ということばが流行語となり、だれがその対象となるか噂がとびかう。

 公職追放の対象者には、「大政翼賛会などの幹部」の項目があった。日本文学報国会とかかわり、しかも国策によって統合された日本演劇社の社長の万太郎が追放になる可能性もあった。

 日本演劇社で「日本演劇」編集長の職にあった戸板康二は、『回想の戦中戦後』(青蛙房 昭和五十二年)のなかで、当時の様子を伝えている。 

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年々、演劇を観るのが楽しくなってきました。20代から30代のときの感触が戻ってきたようが気がします。これからは、小劇場からミュージカル、歌舞伎まで、ジャンルにこだわらず、よい舞台を紹介していきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。