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集中講義最終回 wrap-up

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 講義の準備がほぼ終わりました。6月22日の最終回に使うはずのwrap-upですが、私の個人的な批評の方法などを話す予定ですので、何かの役に立てばとお目にかけます。

 個別に発表する予定の「私が演劇評論家になった理由」「図像学が私の選択した方法でした」「観劇中にメモをとるべきか」「演出家が考えなかったことを文章にするために」の四本と同じ内容をひとつにした原稿です。重ねて購入しないように、お気をつけください。

キャリアをはじめた頃 

 私は25歳のときに、演劇評論家として初めて評論を発表しました。今、現在、63歳ですすから、ずいぶん長い間、演劇評論を書いてきたことになります。 結局、書くのが好きだということに尽きるのではないでしょうか。
 
 その間に考えたことを、要約して申し上げます。

 なぜ、演劇の評論を書くようになったのですかと聞かれることがあります。

 中学三年生の夏だったと思います。東京には古本屋街として有名な神保町があります。出版社や印刷所もこのエリアに集まっています。なにか参考書を探しに行ったのだと思いますが、ふっとあるビルディングを見上げたときに、私はこの会社で編集者になる。そして、演劇評論家になるのだと、インスピレーションが下りてきたのです。

 もちろん、子どものころから本が好きでした。両親も理解がありましたから、近所の本屋で私は文庫本ならば何を買ってよいと言われていました。

 その代金は、まとめて父親に請求がくるのです。ドイツのレクラム文庫に学んだ岩波文庫や新潮文庫が私のお気に入りで、夏休みは毎日、一冊読んでいきました。それほどの本好きだったのです。

 演劇についても同様です。父親に連れられて毎週寄席に行っていました。歌舞伎は切符代が高額ですから、毎月ではありませんが、よく連れて行ってくれました。

自分で初めて観た舞台は唐十郎

 自分ではじめて演劇を観に行ったのは、この講義でもふれた唐十郎の作品で『蛇姫様』という作品です。私が現在、勤務している大学の近くに、不忍池があります。そのほとりにある水上音楽堂の公演でした。ま

 だ子どもだった私は衝撃を受けて、アンダーグラウンド演劇が大好きになりました。おそらく、当時、もっとも若い観客だったろうと思います。

 卒業後、目標にしていた出版社に入りました。

 有名な出版社でしたから、その肩書きがあると、何の経験もない私でも、会いたい人に会えました。劇場関係者や演劇雑誌を出している編集者とも会うことができました。数年すると、いくばくかの人脈が生まれ、私は演劇雑誌やハイファッションの雑誌に、劇評を書くようになっていました。

 二十五歳のころです。小田和正さんというアーティストがいます。彼にインタビューに行ったとき、アドバイスをくれました。何かやりたいことがあるんだったら、直接関係ない人にも、自分の夢を話すことだと彼は教えてくれました。

 黙っていて、劇評を頼んでくれる人はいません。

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年々、演劇を観るのが楽しくなってきました。20代から30代のときの感触が戻ってきたようが気がします。これからは、小劇場からミュージカル、歌舞伎まで、ジャンルにこだわらず、よい舞台を紹介していきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。