ご都合主義台本がかなり笑える。 『グランメゾン東京』第九話。

 演劇では、クローズアップするかどうかは、観客に任されている。ときどき、一等席から双眼鏡を使って、役者のアップを観ている観客がいる。

 本当に役者が好きなんだなあと思う。テレビは、自分自身の選択ではなく、ディレクターの意図で、アップが行われる。今回は、菊之助の丹後学が、玉森裕太の平古翔平が、査察のような集団から、翔平の過去の過ちをかばう場面で発揮される。

 主役級の特権は、アップは切り取りではないところだ。
 歌舞伎では、見得になって、フィックスして反応を観客の視線を受ける。 テレビでは、アップになったのちに、「彼」が受けた衝撃がいかなる変化を数秒の間に消化したかが表現される。

 今週の菊之助は、この「衝撃を受ける」→「内心の動揺が起きる」→「本人が他人に観られてもよいように、動揺を隠す」この過程をテレビのお作法通りに表現していた。
 手塚とおるの喰えない小悪党振りが、全編を通じておもしろい。

 脚本は、破綻の連続である。
 
 芹田公一(寛一郎)の裏切りをあっさりとグランメゾン東京のメンバーが許した前回までは、まだなんとか理解できる。
 よほど、人を疑うことないスタッフなのだろう。けれど、松井萌絵(古谷彩子)がノロウィルスにかかって、内部スタッフの作為ではないかと疑いが持ち上がる。そのとき、なぜ、過去がある芹田公一ではなく、久住栞奈(中村アン)に注目が集まるのかがわからない。
 まして、芹田が久住を責めるくだりは、芹田が愚かであるという設定なのだろうか。

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年々、演劇を観るのが楽しくなってきました。20代から30代のときの感触が戻ってきたようが気がします。これからは、小劇場からミュージカル、歌舞伎まで、ジャンルにこだわらず、よい舞台を紹介していきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。