東京がもっとも速かった頃。坂本龍一をめぐる記憶、いくつか。
憧れの人が逝った。
東京が世界の都市の中でもっとも速い。そう信じられた時代の寵児だった。西麻布や広尾のあたりにいると、ブーンと東京が空を駆け抜ける音がした。
雑誌の仕事をしていたので、お目にかかる機会に恵まれた。数は少ないけれども、インタビューを三回ほどお願いした。もっとも印象に残っているのは、YMOが散会してしばらくして、一九八九年にリリースされた『Beauty』がリリースされたときの取材だった。
これまでYMOでは、高橋幸宏さんが担当していたヴォーカルに、本格的に乗り出したアルバムの宣伝のために時間を割いてくださったのだろう。賢い人だから、自分の歌唱は、キーボードの説得力に比べると劣ることをよく知っていらした。
インストメンタルだけのアルバムは、売り上げとして厳しいから、プロデューサーにも要請されて、あえて歌ったのだと思う。なぜ、と私が愚かな質問をすると、話をそらして「歌うとね、頭のなかに声が反響して、頭が悪くなるんだよ」と苦笑された。あまり、この件には、突っ込んでほしくないのだなと理解した。
このアルバムには、『安里屋ユンタ』と『ちんぐさの花』が含まれている。沖縄民謡のカヴァーだけれど、「なぜ、沖縄に興味を持たれたのですか」と訊ねると、一見明るいのに、裏側に悲しい歴史がこめられているというような話を伺った気がする。単純に音階に惹かれたこともあるのだろうけれど、太平洋戦争の沖縄戦を意識されているところが、坂本龍一さんらしいなと思った。
YMOが世界的な名声を勝ち得たこともあって、遠く感じられる存在だった。けれど、あの頃のテクノカルチャーが、西麻布、六本木周辺に巣くっていたこともあって、芋洗坂の「東風」や広尾の交差点近くにあったコージーなバー「アムリタ」(移転する以前の書斎のような店)で姿を見かけた。原宿の「ピテカントロプス・エレクトス」(通称、ピテカン)で小さなコンサートを開いたときは、中沢新一先生のお供で、バックヤードにも入れてもらった。
インタビューでも、楽屋でも、とても気軽に話しかけるような雰囲気ではなかった。
沈思黙考しているイメージは、どこから来たのだろう。インタビューを終えると「知的なインタビューだったね」と、お世辞をいってくださるような面もあった。けれど、もたれかかり、なれなれしくはしてはいけないと思っていた。どこか、カミソリのような神経を持っていらしたと思う。
分野は違うけれど、劇作家・演出家のつかこうへいさんにも、同じような張り詰めた空気を感じたことがある。
少し、話がそれるけれども、坂本さんのパートナーだった時代、矢野顕子さんにもインタビューしたことがある。防衛庁の脇の公園で、撮影したが、なんとなく雑談になった。矢野さんの笑顔にひかれて「掃除が苦手なんです」ともらすと「毎日、必ず少しでもいいから、やりなさい」。ぴしゃりと叱られた。
もうひとつ余談を。2002年に、シンガポールのフェスティバルにダム・タイプが参加したときの思い出が急に浮かび上がってきた。作品は、『Voyage』(池田亮司音楽)である。高谷史郎、桜子さんと、もうひとり若手のパフォーマーと「シンガポール・スリング」を飲みに行こうと決まり、ラッフルズ・ホテルに車を走らせた。そのとき、坂本さんについての話になった。
若い彼女がぽつりと
「龍一はドビュッシーだから」
と断じて、大笑いした。さまざまな文化がひとつらなりになったような気がした。そんな時代だった。
2022年にヴェネチア・ヴィエンナーレでダム・タイプの新作に、坂本さんが参加すると聞いたとき、なるほど、錯綜する線は、どこかで繋がっているのだとわかった。
改めて、アルバムをさらってみた。私は、一九九六年にリリースされた『1996』が、今も好きだとよくわかった。過去の作品からピアノ、ヴァイオリン、チェロによるトリオ編成で再録音されていて、叙情的だけれど、甘くはない坂本さんの芸風がよく出ている。
『The Last Emperor』や『Merry Christmas Mr. Lawrence』も収録されているが、ベストワンといわれたら、『M.A.Y. In The Backyard』を選ぶ。
のちに坂本さんは、東京からNYに移住する。もう、西麻布や広尾で見かけることはない。けれど、なぜか、坂本さんとの距離が縮まったような気がした。
坂本さんには、しおれかけてきた日本は似合わないと思った。
日本の芸能人ではなく、世界の音楽家としての坂本さんならば、かえって近しく思えた。こんな感想をともに、してくださる方もいるかもしれない。
先日、NHKで最晩年のソロピアノの映像が流された。
衰えた風貌は、私の知る坂本さんではなかった。涙がこぼれそうになったので、見るのを止めて、アップルミュージックのプレイリストに戻った。
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長谷部浩のノート お芝居と劇評とその周辺
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年々、演劇を観るのが楽しくなってきました。20代から30代のときの感触が戻ってきたようが気がします。これからは、小劇場からミュージカル、歌舞伎まで、ジャンルにこだわらず、よい舞台を紹介していきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。