賢兄は、自ら飼犬の態度に学ぶと繰り返す愚弟の屈折を知らない。(久保田万太郎、あるいは悪漢の涙 第四十一回)
小説「春泥」に描かれた新派のみならず、演劇の世界の人々との交友を万太郎は深めていく。
まっとうな社会に属する水上にとっては、深酒に溺れ、芝居の話に熱中する彼らは、無頼の徒と映ったかもしれない。
ドウガルの讃美者はすこぶる多く、久保田万太郎君もその一人で、あたしはドウガルの態度を學ぶよと、又かと思ふ程繰返す。
但し飼主の側から見ると、この人とこの犬では、まるつきり品行が違ふ。久保田さんは、あたしは酒は嫌ひですと、いはなくてもいゝことをいひ、又實際私のやうに晩酌を楽む風もないが、扨て飲んだとなると、二次会となり三次会となり、身長僅かに五尺二寸にして軆重十九貫にあまるといふ始末の悪い軆をもちあつかひながら、深更滞無く我家に歸るのは上出來の部で、時には我家近くの交番のあるじに管を巻いて馴染となり、翌日短冊を書かされたりしてゐる位で、おとなしく自宅に引籠もつてゐる方では無いが、我がドウガルは目下の軆重こそ稍(やや)久保田氏に劣るかもしれないが、我家をよそにした事は一度も無く、天性極めて内氣で、おもてへ出る事を好まず、したがつて交番のあるじを悩ます事もない。(水上瀧太郎「その後のドウガル」昭和六年五月号「三田文學」)
年々、演劇を観るのが楽しくなってきました。20代から30代のときの感触が戻ってきたようが気がします。これからは、小劇場からミュージカル、歌舞伎まで、ジャンルにこだわらず、よい舞台を紹介していきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。