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50 長岡のモダン茶屋の五月かな。(久保田万太郎、あるいは悪漢の涙 第五十回、最終回)

 昭和三十八年五月六日、その日の東京は、若葉に小雨が降っていた。
中村汀女主宰の俳誌『風花』十五周年大会に出席した久保田万太郎は、慶應義塾病院に俳句の弟子、稲垣きくのを見舞い、家に戻り入れ歯をはめて、画家、梅原龍三郎邸で行われた「明哲会」に顔を出した。到着は四時五分だった。
 銀座の名店、なか田が鮨の出店をだしていた。
 つがれたビールを飲み干して「じゃ赤貝でももらいましょう」と注文する。弟子達の証言によると、万太郎は食べにくい赤貝を注文することはなかったのたという。
 

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年々、演劇を観るのが楽しくなってきました。20代から30代のときの感触が戻ってきたようが気がします。これからは、小劇場からミュージカル、歌舞伎まで、ジャンルにこだわらず、よい舞台を紹介していきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。