【劇評216】七十八歳の気力を振り絞る白鸚の弁慶。神秘性のこもる猿之助の『小鍛治』。
七十八歳で、体力、気力ともに最大限の充実を求められる『勧進帳』の弁慶を勤める。これがどれほどの偉業であるかは、いうまでもない。祖父七代目松本幸四郎を仰ぎ見て、その藝境を継きたい強い意志があってのことだろう。
昭和三十三年に十六歳で勤めてから六十年を越えた。私がみてきたのは、この四十年に過ぎないが、弟吉右衛門と競うようにして、白鸚独自の弁慶像を造形してきた。
一一五一回目にあたる初日、白鸚の弁慶を観た。
現在の白鸚の澄み切った藝境がよくわかった。長男幸四郎の富樫と一期一会の舞台がここにあった。
今回の義経は、雀右衛門。富樫に合力と見せた義経の正体が見破られそうになり、打擲して切り抜ける件り。さらには、富樫一行が舞台を去って「判官御手を取り給い」の件りでは、落魄の主従の哀感ばかりがしみじみと伝わってきた。
白鸚の弁慶は、主に仕えることに、すべてを賭ける思いが、花道の出から、幕切れまで一貫している。これが、白鸚が辿り着いた芸境だと思った。
初日を見た限りでは、体調が案じられた。幸い幸四郎の弁慶、松也の富樫によるBプロとの交互出演が組まれている。くれぐれも無理をなさらず、身体をいたわってくださるようにお願いしたい。
順番は逆になったが、第一部の幕開きには、猿翁十種の内『小鍛治』が出た。
年々、演劇を観るのが楽しくなってきました。20代から30代のときの感触が戻ってきたようが気がします。これからは、小劇場からミュージカル、歌舞伎まで、ジャンルにこだわらず、よい舞台を紹介していきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。