【劇評358】人間は怪物か。伊藤毅作・演出の『アリはフリスクを食べない2024』の問いかけ。
ふたりの男女がアパートにいる。
この作品を、都内のアパートに住む三十代の男女の群像劇として考えると、理解がシンプルになる。三十代は、もはや若くもなく、かといって老いてもいない。だからこそ、平穏ではありえない。人間存在の真実に迫るすぐれた舞台となった。
なんのへんつもない部屋、下手にはキッチンとテーブル、上手にはシングルベッド。その手前には小型テレビがある。水中眼鏡をした男トモユキ(辻響平)がゲームをしている。テーブルではゆかり(石橋亜希子)が携帯をいじっている。ふたりは、しりとり遊びをしている。
このふたりの関係を探るところから、劇は立ち上がっていく。
知的障がい者と家族
やしゃごの『アリはフリスクを食べない2004』(伊藤毅作・演出)は、知的障がい者とその家族、周囲の人々を描いている。障がいのある三十九歳のトモユキは、三十六歳の弟アユム(海老根理)とふたりで暮らしている。アユムが、婚約者の舞子(椎名慧都)の実家に挨拶にいっている間、幼なじみのゆかりが、泊まりがけでトモユキを見守りにきていたとわかる。
トモユキとアユムが働く工場の社長桜田かおる(佐藤あかり)と事務を仕切る中村千春(小島颯太)、異様にテンションの高い同僚の寺田(尾﨑宇内)、障がいのある加奈子(井上みなみ)とその母(藤谷みき)、同じアパートに住む三上(佐藤滋)、トモユキが入所していたグループホームの職員林(岡野康弘)。
登場人物が増えるうちに、観客は、だれに障がいがあるのか、障がいと健常者の区別はあるのか。ついには、人間のだれもが「普通」ではなく「おかしい」と思うようになる。しかも、人はひとりでは暮らせないがゆえに、お互いを縛り合っている事実につきあたる。
ならば社会劇なのか
ならば、この作品は障がい者と性を描いた社会劇なのか。そう決め付けてしまうと、劇の本質を見失うことになる。
年々、演劇を観るのが楽しくなってきました。20代から30代のときの感触が戻ってきたようが気がします。これからは、小劇場からミュージカル、歌舞伎まで、ジャンルにこだわらず、よい舞台を紹介していきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。