道楽に毎日を暮らす"風流人"にはなれなかった。(久保田万太郎、あるいは悪漢の涙 第四十六回)
市井人
後期の小説のなかで、もっともちからの入った作品は、『市井人』(「改造」昭和二十四年七月ー九月)だろう。
万太郎、六十歳。大家による久々の長編である。関東大震災前の東京、大学生藤岡の目を通して、俳人の世界を描く。
吉原遊郭、八重垣の息子として生まれた「わたくし」は、水菓子屋の若主人の萍人(ひょうじん)の誘いによって、俳人蓬里(ゆうり)に弟子入りする。紅楼の巷にあっては学業に差し支えると、親によって麻布の寺に下宿するよう吉原からは遠ざけられはいるが、「わたくし」にとって蓬里はなじみ深い名前だった。かつて、俳句に凝っていた父たちは、当時二十七八歳の蓬里に、宗匠として立机(りっき)させる相談をしていた。その才を認め、プロの俳人にしようというのである。
けれどその話もまとまらず、蓬里は、吉原の帳場に勤め、隙をみて俳句の運座に抜けて出る暮らしを続けてきた。
どれほど俳諧の連中に「大宗匠」と仰がれても、その道で生活していくのはむずかしい。「二十代から三十代の働きざかりを、吉原というえたいの知れない世界で、いろいろとえたいの知れない苦勞をしぬき、深刻(しんこく ルビ)な人間修業を積んで來た」。そんな長年の生活から足を洗って路地の長屋に住む蓬里を、「わたくし」と萍人が訪ねていく。
今ようやく自立と安定を得た蓬里のところへ、新派の名女形、柳田柳之介が相談にくる。
泉鏡花の『注文帳』を上演するにあたって知恵をかしてほしいというのである。舞台で上演される脚本にかかわり、広く世にでる機会がようやくめぐってきたのである。
年々、演劇を観るのが楽しくなってきました。20代から30代のときの感触が戻ってきたようが気がします。これからは、小劇場からミュージカル、歌舞伎まで、ジャンルにこだわらず、よい舞台を紹介していきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。