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長谷部浩のノート お芝居と劇評とその周辺

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2024年4月の記事一覧

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ベランダで、ばらを育てています。季節ですので、何枚かお目にかけます。

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ロンドン演劇雑感、その7。ホーヴェ演出の『オープニングナイト』が、予定より二ヶ月早く打ち切りに追い込まれた。

書くべきかどうか、ためらっているうちに、十日余りが過ぎてしまった。  四月十四日付のBBCニュースは、イヴォ・ヴァン・ホーヴェ演出の『オープニングナイト』が、予定より二ヶ月早く打ち切りになると伝えている。七月二十七日に終了する予定だったが、最終公演は五月十八日となった。

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【劇評335】ミージカルの最前線。三浦透子の深く、悲しい演技と歌唱。人間の心の闇を描いて、見逃せない『VIOLET』。

 傷痕は、誰のこころにも刻まれている。  藤田俊太郎演出の『VIOLET』(ジニーン。テソーリ音楽 ブライアン・クロウリー脚本・歌詞 ドリス・ベイツ原作 芝田未希翻訳・訳詞)は、二○一九年、ロンドンのオフ・ウェストエンドで初演された。二二年二は日本でも初演されたけれど、コロナ禍のために、ごく短期間の公演にとどまった。  今回、満を持して再演されるにあたって、主役のヴァイオレットは、三浦透子と屋比久知奈のふたりで、ダブルキャストを組んだ。  この作品は、一九六十年代、人種差

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【劇評334】東のボルゾイの『ガタピシ』は、きしむ音をたてている私たちの心をえぐり出す。

 アルベール・カミュは、こんなことを書き残している。 「私にとって演劇はまさに文学的ジャンルの最高峰であり、いかなる場合も最も普遍的なものだからです。私は作者や役者に「客席にいるただ一人の馬鹿者のために書いてくれ、演じてくれ」といつも言っている演出家と知り合いになり彼を好きになりました」 (カミュ、東浦広樹訳『私はなぜ芝居をするのか』)  日本独自の価値観に基づいたミュージカルを創り出す。この積年の夢に劇団『東のボルゾイ』は、果敢にも取り組んできた。  これまで観てきた作

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【劇評333】普遍的な物語に、歪みを与える。『母 La Mère』の魔術的な時空。

 人類には、時代を超えて繰り返される物語がある。  母親の息子に対する恋着、子供の成長によって孤独な老いを迎える恐怖、冷え切った夫婦関係につきまとう疑惑などが、この『母 La Mère』(フロリアン・ゼレール作、齋藤敦子訳 ラディスラス・ショラー演出)には、詰め込まれている。いずれも、時代や国境を越えた普遍的な物語である。  ただ、普遍的だということは、画一的な舞台に回収される怖れがある。この物語の中で、母アンヌ(若村麻由美)、息子ニコラ(岡本圭人)、息子の恋人エロディ(

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ロンドン演劇雑感、その6。ホーヴェ演出の『オープニングナイト』。リアルタイムのカメラ映像は、俳優の演技を破壊する。

 ロンドンに行ったもっとも大きな理由は、イヴォ・ヴァン・ホーヴェ演出の『オープニングナイト』を観るためだった。もっとも、見終えた感想は、首をかしげたくなるものだった。  理由はいくつかある。  第一に、二題のハンディカメラが撮影するリアルタイムの映像が、ほぼ休むことなく舞台全体を覆うスクリーンに投影されている。現在のビディオカメラとプロジェクターの性能は圧倒的で、舞台上にいる生身の映像よりも、大きくしかも鮮明に見える。  演劇は、観客が今、何を観るかを選択できるメディアで

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【劇評332】仁左衛門、玉三郎が、いぶし銀の藝を見せる『於染久松色読販』。

 コロナ期の歌舞伎座を支えたのは、仁左衛門、玉三郎、猿之助だったと私は考えている。猿之助がしばらくの間、歌舞伎を留守にして、いまなお仁左衛門、玉三郎が懸命に舞台を勤めている。その事実に胸を打たれる。  四月歌舞伎座夜の部は、四世南北の『於染久松色読販(おそめひさまつうきなのよみうり)』で幕を開ける。土手のお六、鬼門の喜兵衛と、ふたりの役名が本名題を飾る。  今回は序幕の柳島妙見の場が出た。この場は発端であるが、単なる筋売りではない。千次郎の番頭の善六と橘太郎の久作京妙の茶

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