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長谷部浩のノート お芝居と劇評とその周辺

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2022年5月の記事一覧

沈黙は金ではない。沈黙は死である。久し振りに演出家藤田俊太郎と対話して。

 演出家の藤田俊太郎さんと、公の場で話す機会があった。  この五月、場所は、東京藝術大学上野校地第三講義室。  印象に残った話がいくつかあるので、ここに書き記しておく。  まず、コロナ禍の公演中止について。確かに藤田さんは、全面的な公演中止や打ち切りなど大きな被害を受けた演出家だと思う。振り返って「政府に演劇は必要がない」と彼は感じたというのである。  この感想は演劇関係者や百貨店関係者に共有できる。なにか愚劣な政府、都の上層部が、演劇や百貨店をやりだまにあげて、自分の

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【劇評261】奇跡が、見えない壁を作ったのか? イキウメの『関数ドミノ』。

 老いや生のありかたについて、探求を続けてきた前川知大とイキウメが、代表作というべき『関数ドミノ』を上演した。再演から八年を隔てているが、この作品が持つ構造に導かれるように、一気に観て飽きなかった。  二○○九年、一四年の上演は、前川による作・演出である。今回は、演出を一新し、台本にプロローグとエピローグが追加された。このふたつの場面は、安井順平が演じる真壁薫によるモノローグである。観客席にしみわたるような言葉と身体だった。イキウメが演劇に対していかに真摯に立ち向かっている

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【劇評260】私たちは何を守るべきか。アーサー・ミラー『みんな我が子』が突きつける問い。

 緊密な舞台である。  リンゼイ・ボズナー演出、広田敦郎訳の『みんな我が子』は、一九四七年に初演されたアーサー・ミラーの戯曲の可能性を見事なまでに引き出している。  戦争がいかに人間の尊厳を破壊し、家族のなかに深刻な対立をもたらすことか。戦時下では、よき人でありたいと願う宗教的な倫理が反作用のように動き出す。一方、自分の家族だけは豊かで幸福でいたいとする欲望もまた、頭をもたげる。倫理と欲望は、両立することはなく、ひとりの人間のなかでも、鋭く対立する。私たちは、最終的に何を守る

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新マガジン「天下無双 漢 海老蔵」を立ち上げるにあたって

新しいマガジンを立ち上げる。紹介のために、以下のような文章を書いた。 市川海老蔵が、不当な非難を受けていることを、残念に思います。役者は舞台がすべてです。海老蔵について書いた劇評を集めました。野性、暴力性、破天荒が評価されてきた海老蔵に、市民社会の陳腐な常識を押しつけても、私は意味がないと思います。スキャンダルは、歌舞伎役者の勲章です。  海老蔵についてスキャンダルめいた報道がなされている。  私はワイドショーや週刊誌を見る習慣はないので、詳細を知らない。けれども、扇情的

【劇評259】海老蔵の復活。歌舞伎座で炸裂する『暫』の大きさ。

 六月歌舞伎座は三年ぶりの團菊祭。三部制を取っているために、大顔合わせは限定されるが、第二部は、菊五郎、海老蔵、菊之助が出演して令和歌舞伎の水準を示す舞台となった。  まずは海老蔵による『暫』。團十郎家成田屋は、荒事の家だけに、海老蔵はなにより舞台で大きくあることを大切にしてきた。七ヶ月ぶりの歌舞伎座で気力体力ともに充実し、客席を圧する。  江戸の顔見世には、なくてはならなかった演目であり、柿色の素襖、車鬢と呼ばれる鬘、白い奉書紙がぴんと張った対の力紙、すべての要素が「力

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【劇評258】右近、巳之助の『弁天娘女男白浪』は、歌舞伎の未来を予告する。

 歌舞伎座で『京鹿子娘道成寺』を踊るのは、女方舞踊の頂点に立つひとりと認められるに等しい。世話物では、『弁天娘女男白浪』の弁天小僧菊之助を勤めるのは、同じような意味を持つだろうと思う。  音羽屋六代目菊五郎の藝統を継ぐ者として、中村七之助、尾上右近は、いずれはこの役を歌舞伎座と願っていたはずだ。七之助は、平成中村座で何度も勤めているが、歌舞伎座では右近が先んずることになった。

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