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長谷部浩のノート お芝居と劇評とその周辺

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2020年12月の記事一覧

幸ある一年がみなさまとともに、ありますように。

 遠投という言葉があります。手元にある球をできるだけ遠くに、見えないところへ届かせる。手には、投げたという記憶しか残らない。今年だけではなく、年末は、そんなことを考えます。    みなさん、きっとお忙しく、慌ただしく、お辛く、哀しみもある一年ではなかったかと推察いたします。  私も例外ではなく、3月には、コロナが深刻化すると同時期に父を見送りました。葬儀も簡素なもので、ごく近しい家族だけで行いました。  五月からはウィーン大学に赴任する予定でしたが、それもならず、結局、Z

現在の政治家に決定的に欠けている素質について。三島由紀夫の技藝と唐十郎の情熱。

 日本の政治家のスピーチは、なぜ、国民に伝わらないのか。  本質的には、自分自身が原稿を書き、思考を運動させることがないからだと思う。   アイデアだけ言って、役人に現実化への道筋を考えさせ、修正だけして、スピーチを作成してもらう。記者会見では、他人が書いた原稿を棒読みするだけだから、どれほど演技しようとも、それは稚拙な技巧であり、偽物の情熱に過ぎない。  言葉はいかにして、人を打つのか。  三島由紀夫全集と唐十郎作品集を手元に取り寄せて、集中的に読み始めた。三島は、世

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未曾有の苦難にあえいだ歌舞伎。今年、私が揺さぶられた三本を選んでみた。

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カレル・チャペック『白い病』の黒い笑い。

 今日は仕事を早々に済ませて、ベランダの薔薇の冬剪定にかかった。  四鉢とはいえ、剪定の作業には、中腰が避けられない。  腰が痛いな、寒さが身に染みると思ったら、急にカレル・チャペックの『園芸家の十二ヶ月』(中公新書)を思い出した。  園芸家は御苦労なことに、腰痛も厭わずに冬の庭仕事に精を出す件りである。   カレル・チャペックの戯曲『白い病』(岩波文庫)の新訳が出た。  阿部賢一の訳は、簡潔で余計な修飾がない。帯にも引用された「閣下、握手はできません……私は……〈白い

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新春歌舞伎の天気図。明日はきっと晴れ。

 年末なので、今年の回顧を書こうかと思ったのだが、例年とは事情が異なる。悲しい気持ちになるのは必定で、こうした人災のような事態を招いた政府への恨み節となるやもしれない。  そこで気分を変えて、正月の歌舞伎について書いてみる。  浅草公会堂での花形歌舞伎は、早々に中止が発表された。東京での公演は、歌舞伎座、新橋演舞場、国立劇場の三座となる。  まず、歌舞伎座から。なんといっても注目は、第二部。吉右衛門の由良之助、雀右衛門のおかるによる七段目。言わずと知れた『仮名手本忠臣蔵

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玉三郎と菊之助に何が起こったのか。伝承のさまざまなかたち。

 伝承には、さまざまな形がある。  名だたる家に生まれた歌舞伎俳優にとっては、師匠であり、親でもある父との共演がまず、なにより先立つ。歌舞伎の配役は、なかなか一筋縄ではいかないが、一般に親は子を子役として使う。祖父の意見が大きく左右することもある。  次第に長じてくると、立役の親は、子を女形として、自分の相手役として使う。音羽屋菊五郎家も、このやりかたで、菊之助を育てた。つまりは、菊五郎家の家の藝、主に世話物で相手役として、菊之助を引き立てることで、役者としての成長

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【劇評198】独自の藝境に至る白鸚の「河内山」。福助の「鶴亀」、染五郎の「雪の石橋」はいかに。

 歌舞伎役者もまた、いつかは父を、乗り越えようと試みるものなのだろうか。  国立劇場の第二部は、『天衣紛上野初花』、「河内山」と呼ばれる芝居を「上州屋」「広間」「玄関先」と通している。白鸚の河内山だが、二代目を襲名してから二年、自分の芝居を突き詰めて、独自の領域を切り開いている。  もちろん、筋書に掲載された談話には、「播磨屋(初代中村吉右衛門)と高麗屋(七代目松本幸四郎)から、父が受け継いだ大事なお役です。父は「河内山には品がなくてはいけない」と言っておりました」 と、語

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【劇評197】玉三郎が上代の神秘をまとって歌舞伎座に帰ってきた。

 玉三郎が帰ってきた。  十二月大歌舞伎第四部『日本振袖始』は、初日から七日まで、菊之助の岩長姫実は八岐大蛇、彦三郎の素戔嗚尊、梅枝の稲田姫の代役でまですぐれた舞台を見せていた。  八日の休演日をはさんで、玉三郎の岩長姫、菊之助の素戔嗚尊、梅枝の稲田姫という本来の配役で、ふたたび幕を開けた。  九日の舞台を観て思った。 この『日本振袖始』は、源頼光や安倍晴明が登場する平安時代の怪異譚ではない。  時は上代、文字や仏教思想が到来する前の混沌たる日本の物語なのだと思った。ここに

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【劇評196】七之助、中車、猿弥が、歌舞伎の境界に遊ぶ。それにしても七之助は、勘三郎に似てきた。

 ご趣向の芝居である。  十二月大歌舞伎第二部は、七之助、中車、猿弥による新作歌舞伎『心中月夜星野屋』。落語の「星野屋」を元ネタに小佐田定雄が脚本を拵え、今井豊茂が演出した。  初演は、平成三〇年八月の歌舞伎座で、そのときも、落語の話芸をよく、歌舞伎の身体に置き換え、ヴァラエティに仕立てたものだと感心した。  中車は、中年からの歌舞伎役者だから、身体そのものに、歌舞伎の型がたたき込まれていない。この舞台は、歌舞伎の様々なイディオムをモザイクのように散りばめてある。その点、引

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雨交じりの午後、勘三郎の命日に、勘九郎と七之助の活躍を墓前に報告した。

 歌舞伎座の第一部、第二部を見終えて、入谷の西徳寺へ回る。  雨交じりだったのが、ようやく止んだが、冬の大気は冷え切っている。日比谷線の入谷の駅から、階段を上って表にでると寒気で身が凍える心地がした。  波野家の墓のある西徳寺は、大鳥神社のはす向かいといったほうが通りがいいだろうか。  勤務先からタクシーを飛ばせば、ものの十分だろうに、なかなか十八代目勘三郎の命日、その日に訪ねられなかった。今日は土曜日なので自由がきく。  水曜日は、勘九郎の又平を見た。今日は、七之助の『

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【劇評195】勘九郎、猿之助、観客の胸をうつ。又平とおとくの物語が、成熟した舞台として帰ってきた。

 歌舞伎座は、第三部、第四部と近松門左衛門の作品が続く。第三部は、奇瑞と名跡をめぐる物語。『傾城反魂香』から勘九郎、猿之助の「土佐将監閑居の場」が出た。  勘九郎の又平に猿之助のおとく。いかにもこの辛酸をなめてきた夫婦にふさわしい配役で、芝居を堪能した。  鶴松の修理之助が、竹薮に現れた虎を消す功績により、土佐の名と印可の筆を受ける件り。市蔵の土佐将監がいかにも癖のある男に作っている。帝の勘気をこうむり、山科に隠遁している体である。  鶴松はひたすら爽やかだが、名筆の絵

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【劇評194】菊之助代役の『日本振袖始』。創世記の神話にふさわしいだけの大きさが備わっていた。

 コロナ渦の影響で、玉三郎から菊之助に替わった『日本振袖始』を観た。急な代役にもかかわらず、舞踊としての高い水準を保っている。  幕が開くと深山の趣。甕が八基並び、上手には瀧。妖気漂う絵で、演出家としての玉三郎の美意識が緊張感を生む。  まずは、梅枝の稲田姫の出がいい。村人たちに囲まれて生贄に捧げられる姫の純粋さ、哀れさが一瞬にして伝わってくる。澄み渡った心境、自己犠牲の哀れ。役がまとう雰囲気をさっと差し出せるだけの力量が備わってきた。  さて、菊之助の出来はいかがか。

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