マガジンのカバー画像

追悼文集成

18
これまで書いてきた追悼文を集めました。十八代目中村勘三郎、十代目坂東三津五郎をはじめとした悲しみの記録です。だんだん年齢を重ねるうちに、こんな仕事が増えてきました。
故人の面影をしのぶ助けになれば幸いです。
¥980
運営しているクリエイター

2023年4月の記事一覧

【追悼】無類の役者、四代目左團次のユーモアについて。

 代表作ではなく、口上から追悼を書き始めることをお許しいただきたい。  襲名や追善の口上…

300
長谷部浩
1年前
16

このつぶやきはマガジンを購入した人だけが読めます。

長谷部浩
1年前
5

このつぶやきはマガジンを購入した人だけが読めます。

長谷部浩
1年前
1

つかこうへい追悼文 2010年7月10日歿

 一九七四年に『熱海殺人事件』で岸田戯曲賞を受け、時代の寵児となったつかこうへいは、笑い…

300
長谷部浩
1年前
3

十代目坂東三津五郎追悼文 2015年2月21日歿

 二月二十一日の夕方、新聞社から電話があり訃報を知ってから、しばらく呆然として何も手がつ…

300
長谷部浩
1年前
3

中村勘三郎追悼文 2012年12月5日歿

 歌舞伎を愛してやまない人だった。歌舞伎が演劇の中心にあることを、信じ続けた人だった。そ…

300
長谷部浩
1年前
1

十二代目市川團十郎 追悼文 2013年2月3日歿

 巨星墜つという言葉がふさわしい。歌舞伎界を代表する役者が、まさしく円熟期に失われたことは重大な損失で、目の前が暗くなる。  十二代目市川團十郎は、十一代目の実子で、昭和二十一年に生まれた。美貌で知られた父の芸を受け継ぐ間もなく、昭和四十年に高校生で父を失っている。菊之助(現・七代目菊五郞)故・辰之助(三代目松緑を追贈)とともに三之助と呼ばれたが、若年にして後ろ盾がいなくなった当時、新之助の苦労は並大抵ではなかったろうと思う。  昭和四十四年に、十一代目市川海老蔵を『助六

¥300

東京がもっとも速かった頃。坂本龍一をめぐる記憶、いくつか。

 憧れの人が逝った。  東京が世界の都市の中でもっとも速い。そう信じられた時代の寵児だっ…

長谷部浩
1年前
18