観覧車の行方
ある日、古本屋で表紙が無い本を見つけました。
本を開くと両面に東京の様子が写された写真帳でした。面白いのでペラペラページをめくっているとあるページに目が止まりました。それがこちらです。
右の観覧車、どこかで見たぞと思い、記憶をたどると東京勧業博覧会の画報にも観覧車の写真があったことを思い出しました。
実はこの観覧車、東京勧業博覧会が終わった後に浅草6区に移築されたものでした。どちらの写真も下にいる人々が観覧車をぽかんと見上げています。明治の東京に異様な建物が出現し、人々が驚いたのも無理もないでしょう。
浅草に移築された観覧車は明治44年には解体されたそうなので、浅草に存在したのは短い期間だったようです。この本も明治40年代前半ということがわかります。
次に左の建物の写真は凌雲閣です。明治23年に建てられた高さ52m・12階の建物で別名「浅草十二階」。
本の説明には
「十二層の高層にして内部は諸種の観覧物を設く其頂上に登れば都鄙(都と田舎)瞰下し豆下寸馬影恰も天上人たる感あり」
とあります。凌雲閣は江戸川乱歩の『押絵と旅をする男』など文学作品にも登場しますが大正12年の関東大震災で倒壊し、その後再建されることはありませんでした。この関東大震災でレンガ建築が地震に弱いことがわかり、コンクリートへ建築物は変わっていきます。レンガ建築、文明開化のある種の到達点がこの凌雲閣だったのかもしれません。