奇天烈で王道、めぐる日常の物語/「それでも町は廻っている(石黒正数)」感想

Ruinaの元ネタを巡ろうシリーズ。フランが好きなので「めいど!」と服の原典(と思われる)となる本作に興味を持ったんですが、1巻の時点で出てきた上に同じ話で「忍者のように、忍びのように」と忍者メイドの要素が出てきて馬鹿ほど笑ってしまった。
折角だから記事でその会話を使おうとRuiaのスクショファイルを見返したところ該当のシーンを撮り忘れていた上に何周やり直してもその会話が出現せず、もはや幻覚だった可能性すら感じるし「フランって…本当にメイドなのか……?」とまで思う始末。あったよねあの会話?


「それでも町は廻っている」(通称それ町)はジャンルとしては日常ものの作品。「高校に進学した『嵐山歩鳥』は幼い頃から世話になっているおばちゃんから、喫茶シーサイドを最近流行りのメイド喫茶にするため数年分のカレー代のかわりに働け、と言われバイトをすることに。歩鳥に想いを寄せる幼馴染の『真田広章』や真田を目当てに働き始める『辰野トシ子』など同級生や商店街の面々、客などの人々が関わっていく」というコメディチックな作風となっています。

あらすじは比較的オーソドックスな日常ものですが、本作が他と一線を画すのは作中で時系列がシャッフルされている点。例えば2年目の冬を描いたかと思えばいきなり3年目のエピソードが挿入されるなど、その模様は「歩鳥の高校生活3年間」を縦横無尽に飛び回るかの如くであり、日常モノの暗黙の了解ともいえるサザエさん時空的な要素を排した独特の構成になっています。
基本的に一話完結のエピソード群ですが、「この話がどの時期なのか」がおおよそ分かるような作りなのがまさしく白眉。それは背景にある旅行で買った小物だったり、校内放送で呼び出される際の学年だったり、果てはキャラクターの髪型や服装、二人称に至るまであらゆる情報が無駄なく必然性をもって配置されており、極めて高い作品構成力に唸らされました。回によっては以前のエピソードの少し前の時系列で何が起こったのか開示するものもあり、時系列が前後するのにも関わらず物語の縦軸が強固に設定されていて驚かされます。

また、後の回でネームドキャラとして登場する人物がそれより遥か前に背景にいたり会話の中で存在が示唆されるなど、情報を得ている二週目以降は全く別の楽しみ方ができるのも面白い。実のところ細かな時系列や伏線、演出意図までもが公式ガイドブックの「廻覧板」に網羅されてるのですが、これは答え合わせの意味合いが強いため、私は一周目は普通に読み、二周目は伏線を意識して読み、ガイドブックを見てさらに三周目、という楽しみ方をしました。というか、「いや~二周したら伏線とか全然わかったわ」みたいな顔してたらあれやこれやと知らなかった各エピソードの繋がりが紹介されてて、俺は一体何を見てたんだ…!?と膝から崩れ落ちてしまった。小学校の幽霊とか分からないって!そのほかにもツッコミを読者に委ねている場面もあり、作中世界を俯瞰することに対して演出レベルでの細やかな手付きが垣間見えます。



本作は人物同士の関係性で生まれる共鳴が前向きな変化として丁寧に育まれており、人と人が触れ合う中で響きあい、成長する過程の美しさが随所に見られます。恥ずかしがり屋だったキャラが積極性を見せたり、趣味を隠そうとしていたのが別の回では明け透けになっているなど、触れ合いの中で生じた化学反応の如きディティールが累積する光景は、キャラクター同士が相互に作用し息づく様の証明のようで惚れ惚れする•••。
キャラクター間の相互作用はそれぞれが担う物語の縦軸にも影響し、その絡み合いでひとりひとりの物語が発展しやがて収斂していく、各ドラマが関係性の中で醸成されていくような読み心地はとにかく見事。時系列シャッフルという搦め手を使いながら、作品の根幹をなす部分は王道の、それも明快かつ高いクオリティを誇るのは誰の目から見ても明らかでしょう。


個人的には、時系列が廻ることで世界の優しさをも感じたり。高校生は多感な時期で、そこでした成功も失敗も深く心に刻まれることだってあります。しかし、それでも世界は、町は明日も続いていく。友人と喧嘩する手痛い失敗や、受験に失敗して心に傷を負ったとしてもその先で変わらず人々が笑いあえている、そんな温かみが丸子町という箱庭を彩っていたように感じて、じんわりと優しさが満ちる様を思わせました。
…でも紺先輩が中盤くらいで第一志望の大学に落ちたことが分かるので、それ以降で受験前の回があると「こんなに遊んでるから落ちたんだな…」と神妙な面持ちになるのはギャグの角度が鋭角すぎるって!

それ町では「読者だけが全てを知る」俯瞰的な視点が多用されます。放火魔の回がいい例で、松田は放火魔を逮捕したけど犯人がなぜ急に路地裏に逃げ込んだのかは分からず、商店街の面々や悪人逮捕に燃える歩鳥がはしゃぎながら火の用心をしてたからこそ次の被害を防げたがそれを歩鳥たちが知る由もなく、ただただ町の日常は続いていく…と、まさに町と秘密を共有したかのような上品な読後感がたまらない。
この作品は歩鳥を中心に描かれるものの、本質的に歩鳥のいる喫茶シーサイド、商店街、学校といったコミュニティの流動的な日常の変化が描写されており、物語を読み進めるうちにキャラクターの一人一人だけでなく、彼らを内包する世界、「町」を愛おしく思えるような気にさせます。

ミステリとしてのそれ町

ジャンルを日常モノ、と言いましたが実のところ個別エピソードのジャンルは多岐にわたります。基本的にコメディ主体ながら時にSF、幻想文学的な回が挿入されるほか、主人公の歩鳥がミステリマニアという設定から日常ミステリ回が割合多くを占めるのも面白かった!歩鳥は何をしでかすか分からない突飛なギャグキャラの面がクローズアップされますが、ことミステリ回においては細かな情報から真相を言い当てる有能性を光らせたり、かと思えば勘違いをして突拍子もない推理を披露し師匠である静かねーちゃんにお株を奪われたりとこちらも様々な様相を呈します。私自身ミステリ、とりわけ米澤穂信の小市民シリーズなどの日常ミステリが好きなので結構刺さりました。Detective girlsシリーズなんてそれぞれ短編ミステリとして完成度が高い上に、歩鳥と辰野の関係性が育まれる様や辰野が歩鳥を認め理解するプロセスが共感できる良回ですよ。個人的に好きなエピソードは以下の3点。

「42話 学校迷宮案内」
歩鳥の弟、タケルが壁新聞のネタに七不思議のひとつ「中庭の池に住む恐竜」を調査する回。それ町では比較的めずらしく、何人もの証言を集めて真相を解き明かそうとするのがタケル独自の質感があります。小学校あるあるな突飛なネタながら、尾ひれのついた幻想を少しずつ剥がして真相を解き明かしたり証言の僅かな差異から違和感を見出すといった流れがかなり本格的であり、意外にも地に足のついた雰囲気がいいんですよね。
この回で目を引くのは中~終盤タケルのスタンスです。事実を詳らかにするとどうしても悪人が生まれてしまう構造を回避しようと、誰の顔も潰さず納得させるだけの回答を出すため、嘘ではないが事実でもない「真実」を見つける──。ただ答えを出すだけに留まらない一捻りが他では味わえない臨場感を生みました。小学校の壁新聞だからこそ許される回答が秀逸だし、ミステリにおいて名探偵が誰かを幸せにするために謎を解くのなら、この時のタケルはその端くれで間違いないでしょう。そしてその優しさこそが一つの真相に辿り着いてしまった、と余韻を残すラストも素敵。

「第124話 大事件」
初期にあった歩鳥と森秋先生のラブコメ的な要素からも端を発する(のか?)痴情の縺れ的な回。一応単発の回でありますが、「学生時代に森秋にラブレターを送った生徒」や「森秋に想いを寄せる西」といったこれまた序盤から匂わせていた伏線がついに結実する…かと思えばミスリードとして爆発した回。ナメ子の名前や陰湿な性格は過去回で描かれただけに「やられた!」となりました。伏線の張り巡らし方をこの回に結実させた類稀なる構成力よ…!
時系列が3年目というのもあって歩鳥が落ち着き払って推理を進める様がかなり好みです。写真から相手の場所を特定して以降の流れるように真相に辿り着くのが頼りになりますよね。
この回で好きなのは、探偵助手としての役割が板についてる辰野に真田といったいつもの面々。とりわけ真田の動きが良くって、彼は歩鳥と違いナメ子の陰湿さを知っているため、それに思い至ったかのように歩鳥の危機を察知し駆けつける…という、感情レベルでキャラ間の情報格差があったのをさらりと生かすのも痺れました。
日常ミステリといえば学生の爽やかな瑞々しさと取り返しのつかないことを知るビターエンドだろ!!!と信じて止まないので、物語が幕引きに向かいつつある終盤で描かれる寂寥感も相まって好きな回。これまで散々「探偵として事件を解き明かしたい」と無邪気に構えていた歩鳥が、追い詰めた犯人に逆上されて危機に陥り、事件が起これば犯人がいるとはどういうことなのかを突きつけられる寂寥感のあるオチが良い。青春のほろ苦さや甘酸っぱさを、スパイスの効いたカレーと砂糖を添えたコーヒーと共に。

目 (ストーリーライン森秋)
初のミステリ回の「目」というよりは、そこから終盤にかけて展開した森秋の連作エピソード。単発回として見ても、それまで所謂ギャグキャラとして描かれてきた歩鳥が探偵役として申し分ない鮮やかさを見せるのが、キャラクターの奥行きを感じさせてくれて「この漫画…かなり面白いのかもしれない…」と姿勢を正したりしなかったり。この回があったからこそ、森秋は歩鳥に一目置くようになったんじゃないかなぁと。

一度は終わった不気味な絵画の話が、夏休みに歩鳥が美術部の「室伏 涼」と出会うことで欠けた歯車がかみ合ったかのように動き出し、まるで運命に導かれるように真実に至るという、巡り合わせが生んだ関係性の一つの到達点。歩鳥も涼も森秋が苦手とするタイプの人間というのがまた面白く、人と人との関係性が共鳴して昇華されるまさしく本作の流れを汲んだ長編となりました。それだけに、森秋祖父が遺した悪の研究と危うさを匂わせる涼が出会ってしまったという、他者との触れ合いを肯定する作風から反転の構図に至るのがやりやがった!!!と唸ります。不気味な絵画の「目」を巡る話から、涼の魅入られたかのようなまなざしで終わる構成も痛烈な余韻を残し、しかしその後が語られることもなく日常が廻り続ける、否、廻り続けてしまう薄気味悪さが本作において特異に光ります。

森秋先生は序盤で歩鳥から「モリアーキー」と呼ばれたり、数学などの要素からモリアーティがモチーフか?と思いきや祖父が危険人物だったという拾い方で感嘆となるなど。見たものの感性に訴えかける芸術が思考を歪める、というオカルティックな話運びがいいよね。


結びに

コマ内の情報配置や綿密に計算された時系列など構成力の高く、漫画として芸術性がとてつもない作品でした。辰野がシーサイドに来てから幕を開けた物語が、終盤で受験シーズンとなり一つの幕を下ろし、そして最終章に流れ込む展開とか構成がいいだけでなく青春の総決算としても心を揺さぶられたし、触れなかった単発エピソードが物語の本流に少しずつ影響しあってると気づいた時の驚きに思わず前のめりになったのとか語ろうとしても語り切れないんですよ…!

「この人の作風すきかもしれん!」と短編集も買ったらアナザー歩鳥とアナザー紺先輩が出てきて驚いたし、真実を追求する過程のミステリな趣が心地よくってそのまま読み切ってしまいました。
歩鳥やあの町の人々が交わした言葉や紡いだ時間の一つ一つに意味があったように、この作品に出合えたことが私にとって意味を持てればいいなと、透き通るような心地で•••絶賛連載中の「天国大魔境」にも手を出すのだった•••!


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