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麒麟2025年冬号から

俳句プレ幼稚園クラスなので、個人的に、初見、好きだったり、気になったりの句を備忘録として残しておきます。
なお写真は推しの日本画家の、外山諒さんの作品。婦人画報の2024.12月号に紹介されたものです。悠さんの句を拝読させていただいた時、すぐこちらが思い浮かんだので。
以下、敬称略で失礼します。

水澄みて朽木のやうに眠りけり 潮見 悠
鯔高く跳ぶ東京の焼野原 髙田 礁湖
牡蠣の海黒曜石の山近し 平野 皓大
夢忘れたし鶏頭に水をやる 斎藤 志歩
紫陽花の枯れ方秋の闌の 久留島 元
新涼や空気を磨くごとくチェロ うにがわえりも
蟷螂枯る庭に黒犬の骨を埋める 坂本 一鱒
蓑虫の記憶にほのと赤き花 遠藤 史都
錆びてゆく夢くちなしの花は地へ 飯田(飯のへんが旧字) 冬眞

どの雲も遊び足らざる枯野かな
真つ暗と思ふ焚火を強うせよ
桜鍋食べに遅れてでも来たれ
この日記夜から雨で終りけり 西村 麒麟

麒麟2025年冬号

水澄みて朽木のやうに眠りけり 潮見 悠

白い美しい朽木を思いました。朽ちているから、もう全ての「欲」から解放されていて、無駄のない美。水琴窟のような、繊細な水音が眠りを包み込み。

鯔高く跳ぶ東京の焼野原 髙田 礁湖

義母から何度も聞いた、東京大空襲後の風景を思いました。人の世の人による風景。そこに人とは関係なく、日々変わりないよう鰡が飛ぶというところが、なんともいえず。

牡蠣の海黒曜石の山近し 平野 皓大

真っ黒に見える冷たい海と、黒曜石の艶やかさ、加えて牡蠣のトロリと濡れた身が艶かしく。 

夢忘れたし鶏頭に水をやる 斎藤 志歩

忘れられない夢のもつ非現実性と、鶏頭の花のもつ日常的な感覚。その日常に水をやることで夢を忘れようと、普通の日々を育てゆく。けれどその夢はきっと、心のどこかに。

紫陽花の枯れ方秋の闌の 久留島 元

追悼句とも思ったのですが、眩いほどの闌の秋の色のなかで、枯れた紫陽花に残るわずかな色に不思議な憂いが。

新涼や空気を磨くごとくチェロ うにがわえりも

チェロのあまやかな音色が初秋の明るさに合う気がします。加えて空気を磨くというところに暑さから、気持ち良い季節への移り変わりが。

蟷螂枯る庭に黒犬の骨を埋める 坂本 一鱒

捕食者としての蟷螂の死んでゆく庭に、さらに、少し怖いようにも思えるけれど、黒犬の死を重ねる突き放したような描き方が、かえって冷たいさみしさを強く。

蓑虫の記憶にほのと赤き花 遠藤 史都

特に雌は、蓑の中で一生を過ごします。雄も蓑虫たる間は、生まれてから蓑の中なのに、その記憶の中に、灯しのような赤い花が美しく。

錆びてゆく夢くちなしの花は地へ 飯田(飯のへんが旧字) 冬眞

くちなしはその姿よりも香りの高い花。夢はかなわず錆び、その匂いを残して土へ。いくつもの夢がそうして消えてゆくのだけれど。

どの雲も遊び足らざる枯野かな
真つ暗と思ふ焚火を強うせよ
桜鍋食べに遅れてでも来たれ
この日記夜から雨で終りけり 西村 麒麟

ここのところ自分が参加させていただいた、先生にしたら数少ない句会での先生の句は、みな追悼句のようにも。
俳句と関係なく、石を飲んだ時、その石が喉につまったら、息ができません。もし、泣いたり叫んだりできそうだったら、そうなさることを。

   * * * * * * *

本当に素敵な句ばかりで、選ぶのが大変でした。自分の句はちっとも上手にならないのになぁ・・・先生の雑詠評を読む前なので、検討違いだったら困るなぁと、思いつつ。

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