『クソゲーオブザイヤー』休止における雑感
この記事が面白かったので、ぼくも雑感を書いてみたくなった。
クソゲーオブザイヤーは今は全然だけど、昔は相当入り込んでいたので。ぼくもクソ漫画愛好家ないしクソゲーハンターであり、空前のクソゲーブームが巻き起こっていたので。
色々「いや違うだろ」ってツッコミ所さんはあるだろうけど、TDNの私感なので生暖かい目でオナシャス。
◆クソゲーオブザイヤー
致命的バグ・フリーズ
クソバランス・理不尽仕様
クソシナリオ・電波シナリオ
"クソ"という言葉が放つ負力
その力に魅せられた奴等がいる
人は彼等をクソゲーハンターと呼ぶ
クソゲーオブザイヤー。
その年で一番のクソゲーを決める2ch発祥の負の天下一武道会。
略称はKOTY(Kuso-game Of The Year)。
「オブジイヤーじゃないの?」「うるせー馬鹿」はぬるぽガッに並ぶ伝統である。
2004年から突如はじまったソレは10年以上も長く続いていた。毎年どんな大物が出てくるのか待ちわびるクソゲーハンターは少なからずいた。無論、かつてぼくもだった。ほぼ毎日スレROMっていたし、まとめWikiも見て楽しんでいた。
だった、というのは、いずれ訪れるのは覚悟すべきなのだろうか、やはりKOTYへの熱が冷めてしまったわけだ。クソゲーそのものは好きの精神のままでいるが。これについては順に追っていきたい。
◆KOTYとの出会い
ぼくがKOTYを知ったのは七英雄降臨の2008年だったと記憶している。
クソゲーそのものの概念は当然知っていたし、それ以前の年から一部のクソゲーがやべえよやべえよと騒がれていた。
「さ あ ふ る え る が い い」『ローグギャラクシー』(2005年大賞)、生まれて初めて予約キャンセルしたゲーム『ダージュオブケルベロスFF7』(2006年次点)が特にぼくの中で印象に残っている。そのふたつとも期待値が高かった上に、あまりの出来の悪さにノミネートされても無理はなかった。
まあでも、今見ればその2作はプレイできなくはないゲームだとは思う。面白くはないが。ローグギャラクシーはクソシナリオだしコピペダンジョン虚無だし。DCFF7は全然楽しくないTPSだし。
2008年はなにも初めからKOTYを知ったわけではなく、自動ドア搭載逆転大奥『大奥記』、ワイは猿や!PV詐欺や!『プロゴルファー猿』あたりから存在を知った。猿はファミ通クロスレビューの異常な点の低さが話題になっていた。この頃はまとめサイトでも話題にされ、クソゲー豊作時代となり、一気にクソゲーブームが到来してきた、そんな記憶がある。
皆さんご存知の通り、アプデで改良どころか四次元麻雀化した『ジャンライン』と、ダメジャー三部作の殿を務めた『パーフェクトクローザー』のアツすぎる一騎打ちは語り草だ。ジャンラインのアプデはゲーム史に残る初見殺しである。もう15年前なのが信じられない。当時は毎日スレROMっていたくらいすげえ楽しかった。もうあのような伝説は二度と到来しないんだろうなあ。しないほうがまず正しい判断だが。
クソゲーはないほうが正しいから!ただでさえお安くないクソゲーに大金払って被害者続出とか、フツーに考えて笑えない話だから!まあそういうのは大昔から今でも続く負のスパイラルなのだが。特にキャラゲー。
◆KOTYのピーク
個人的なKOTYの印象としては無難な意見だが「2008年が最大のピーク」「それ以降は徐々に右肩下がりの盛り上がり」である。
2009年以降もどんなゲームが来るのかROMっていた。けれど年々徐々に熱意が失われてしまい、「これが大賞だろ!」となんの根拠もなく粘着し続けるゲハからのお客さんに鬱陶しくなり、気が付けばいつの間にかスレから去っていた。たったそれだけの話である。
実際にクソゲーをプレイして選評を書かず、ただスレをROMっていただけの野次馬同然なぼくがそんなことを言う資格はまずないのだが(プレイ動画見ただけでクソゲー判断するエアプは、やめようね!)、けれどもクソゲーを楽しむ祭典としては本当にKOTYは偉大な機会だなと思う。
あ、でも一度だけ(疑似的に)参加したことはあったな。
海外で先行販売され低評価されていた『Red Seeds Profile』に特攻してみたら、思いのほか面白くてファンになった。不便な面もあるけれど、田舎町の世界観や怒涛のシナリオがすごく良かった。今では続編が発売されたり、(別タイトルでだが)ニンスイに初代のDL版が発売されたりと地味にシリーズ展開が続いている。「全ての謎を解き明かした時、あなたはこの町を離れがたくなる。」という一文が的を得ている良いゲームだ。
クソゲーの話から良ゲー紹介になってしまったが、実際そういったケースもあったことを押さえておきたい。
◆笑えるクソゲーの偉大さ
何故右肩下がりの盛り上がりだと感じられたのか。
あまりにも月並みな意見だが、2008年度がヤバすぎてハードルが上がりまくったのと、シンプルに笑えるクソゲーがなくなってしまい、盛り上がりに欠けたからだとぼくは考えている。
2009年以降の大賞作品をまとめると(据置部門のみ)、
こうして列挙すると、ファイナルソードの存在感すげえな。
あれはもうタイトルだけで笑えるのはすごいと思う。ギャグマンガ日和の作中作として出てきそうなタイトルだし、とても令和のゲームとは思えないチープな出来がシュールさを物語っているからな。
そんなファイナルソード以外の存在は…どうもパっとしない気がする。
まず聞き慣れないタイトルばかりだ。『古き良き時代の冒険譚』とか『サマースウィートハート』とか、タイトルだけは聞いたことはあるが、まずピンとくるようなタイトルではない。
「『クソゲーA』といったらコレ!!」みたいな分かりやすい代名詞・見所さんをアッピルしづらいのも要因だろうか。
「『デスクリムゾン』なら赤の扉!!」「『パーフェクトクローザー』なら首バグ!!」みたいな、面白いネタのしやすさ・インパクトが2009年以降はない。どれも実際にプレイしていないので何とも言い難いが。
2021年大賞の『バランワンダーワールド』においては別の意味で笑えない上に語り辛いゲームになってしまった。
2009年度大賞の『戦極姫』はバグ満載で当時はやべえなと畏怖を感じ取らずにはいられなかったが、実際に手に取って確かみてみたくなるクソゲーの魔力と魅力はあまり感じられなかったんだよな…
評判を見ていて、まず笑えるネタになるほどのクソゲーじゃないというか、うちもプレイして、さあどんなふうに調理してみようかという気にならないというか。まあ、ぼくはクソゲーハンターとしてまだまだ半人前だと自負している。別に一人前のクソゲーハンターと誇りに思うことではないのだが…
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「クソゲーを笑う」というのは馬鹿にしているような悪趣味な印象はなくはない。まず理解され難いだろう。プレイした100人中全員がハッピーになるとは限らない。キャラゲーなら怒りを買わざるを得ない。『パーフェクトクローザー』は子供たちへのトラウマや冒涜の要素も兼ねている。
けれども、クソゲーに怒りを示すのではなく、娯楽のひとつとして楽しむというのはアリだと思うんだよな。結果、それで楽しめたら結果オーライだし、クソゲーならではの新たな魅力を見出せたのだから。
みんな大好きデスクリムゾンだってエコールが自社でファンイベントやっているしなあ。まあああいうのは稀なケースだし、そも続編2はモロに悪ノリの塊なのだが。2も大好きだけど。
◆終焉と結論
その年で一番やべークソゲーを決めるので、なにより客観的に納得させる選評を書かないとノミネートできないし、結果的にそのクソゲーがこの年で一番の大賞を取ったことには異論はない。というかそのへんはスレ住民ないし偉大なるクソゲーハンターを尊重しつつお任せしている。ぼくはただただ静観するしかないし、口を出す資格もない。
だが結果的に昨年2022年は大賞なしとなった。寂しくある(?)が、それもそれでひとつの判断として間違っていないと思う。…まあ、「これ本当に大賞の風格なの?」というクソゲーは数年前からあったので、少し遅れていた感もあるが。
最初はこの年でやべークソゲーを決めるというしょうもないネタスレだったはずが、どんどん肥大化していき、ゲハからの厄介なお客さんの介入も兼ねて、とてもやりづらいコンテンツ(?)となってしまった。
最初はインディーズバンドみたいなノリで軽い気持ちで決めていたはずが、変にメジャーになってプレッシャーが重くなってしまった、そんな印象を受けるのだ。あまりにも煮え切らないコンテンツの終焉ではあるけれど、これもまたひとつの決着としてアリだと思う。数年遅いとか言わない。
ふう、非生産的な記事を冗長に書いてしまった。
まあ、なんだかんだ言ってクソゲーが出ないことはホント理想的なことですよ。本来ゲームってそう高くはないお金を払っている分プレイヤーを楽しませるべきだからなあ。
なおKOTYそのものが完全終了というわけではなく、エロゲー板という名の修羅の国はまだ続いている模様。我こそはという挑戦者はどうぞ。ぼくは基本いちゃらぶゲーしか買わないし、地雷はなるべく避けるように気を付けているぞ!
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