映画「エヴェレスト 神々の山嶺」を観て 自分の存在を証明する方法を思う
なぜ山に登るのか?
「そこに山があるから」
ジョージ・マロリー
※このnoteの内容にネタバレやあらすじはありません。
映画の内容自体にあまり言及しません。
映画は賛否両論あって良いと思います。
山にいるときの阿部さんが楽しそうにしていますね。
山にいる人はみんなこんな楽しそうな顔をしています。
僕にとっては映画は解答を知るためのものではありません。
自分とは違う角度から捉えたものを観ることが楽しいです。
(「そこに山があるから」は誤訳とされる)?
【原文】
"WHY did you want climb Mount Everesut"
"Because it's there."
この話はこちらのnoteが面白いです
事実として残ること
1924年 ジョージ・マロリーというイギリスの登山家がエベレスト登頂に挑戦しています。
彼らが山頂まで残り250mのセカンドステップと呼ばれる場所に辿り着いたのを隊のメンバーであるオデルが目撃しています。
エヴェレストの初登頂は、
1953年のエドモンド・ヒラリーとシェルパのテンジンによるものとされています。
マロリーの遺体は1999年標高8100m付近で発見されます。
マロリーはカメラを持参していた。
フィルムはエベレストの低温環境下でいまだに現像可能な状態で保存されているかも
じっくり向き合いたい方は、
原作を読み、映画を観て、
自分の妄想を加えることが楽しいと思います。
ここからは、ただの僕の回顧
小学生の頃、
親父と兄貴と奥穂高岳に登りました。
あのときの記憶は、
上高地からしんどいしんどいと文句ばっかり言って、
涸沢で親父が作ったカルボナーラがクソ不味くて、
でも、
夜トイレに行ことしてテントから出た時、
ふと見た満天の星空に心奪われました。
あのとき僕は確かに地球上にミクロの点として存在していると確信しました。
自分で感じ取ったものそれだけが真実。
そこに行かないとわからない。
そこでしか感じないことがありますね。
最後に
我思う故に我あり
デカルトが仰ったそうです。
≒我登る故に我あり
前人未到は大げさでも、未経験のことに挑戦していると、
1mmの取っ掛かりみたいなものは見いだせる。
この1mmの取っ掛かりが大事だと思います。
登山者の心理としては、
メモ帳の表紙を取り、
鉛筆の長さを切り詰め、
着ている服のタグまで切り取って、置いて行く。
1gでも軽くして1mでも高く、遠くまで登りたい。
その行動の中にこそ自らの存在を見出すのではないでしょうか。
つまりは、
思い。
行動する。
また、思うこと。
存在を確認したければ、これをすれば良いと思った次第であります。
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