Requiem to Yoko(葉子さんノオト)

 何から書き始めてよいものか、とりあえず言えることは、あれから十数年が経ったということ。
 D…というカフェを僕がどのようにして知ったのか、今では定かではない。エントランスに手作りのプティと形容すべき“お庭”を持ったそのカフェは僕の趣味とは違ったから、当時付き合っていた彼女が見つけでもしてきたのだろう。
 そんな思い出のD…カフェがもう何年も前に閉店してしまっていたことは知っていた。けれども、それは情報として知っていただけで、実際目にしていたわけではなかった。同じ市内ではあるものの、何度か引越しをしたことによって僕とD…カフェの距離は物理的に隔たり、足繁く通うことがなくなってしまったからだ。
 僕が再びD…カフェを訪れることになったのは――実際には閉店してたことを知っていたから、跡地を訪れたと言うべきなのだろう――最後にそこを訪れてから十数年が経ってからのことだった。飲食店の廃業率は3年で7割にも上るというのだから、十数年の時間経過というのは余りにもクリティカルだと言わねばならない。そこがコインパーキングにでも整地されていたら感慨もへったくれもなかったろうけれど、三階建ての住居の一階部分をカフェとして利用していたD…カフェは、建物はそのまま嘗てのカフェ部分をヘアサロンに変えただけで、当時の面影を残していた。(残念なことに、あの“お庭”はなくなってしまっていたけれど。)
 当時、僕はD…カフェを舞台にして小説を書いた。60-70年代のアメリカのダイナーを思わせるD…カフェには、オーベイビー!なんて歌詞のカントリーロックがかかっていた。カフェを切り盛りしていたのは四十代くらいの品のある夫婦で、旦那さんはキッチン担当、華奢で背の高い奥さんがホール担当だった。
 僕にとって彼女は理想的だった。穏やかで、柔らかな物腰。後ろで一つに束ねた長い髪、少し下がった目元が秋波そのものだった。小説の中で、僕は彼女を“葉子さん”と名付け、カフェを夫婦ではなく姉妹で切り盛りしている設定に変え、彼女の最も女性として美しかったであろう年齢まで時計の針を巻き戻した。当時付き合っていた彼女と訪れていたというのに、僕はある意味では葉子さんに夢中だった。こんな優美な女性を人生の伴侶にしたいと願いさえした。無論、それは僕が現実というものを余りにも知らなかったゆえの若々しく苦々しい願望に過ぎなかったのだろうけれど。
 あれから、十数年。D…カフェはとうになくなってしまった。インターネットの噂では、カフェの閉店は夫婦いずれかの体調不良によるものだという。それだけが目的ではなかったけれど、とても速く走るロードバイクを手に入れた僕は、嘗て自分の小説に登場させた縁のある場所を巡る一環で、D…カフェを訪ねてみることにした。
 あの頃、夢見がちで、イデーばかり捏ねくり回していた二十歳そこそこだった青年も、不惑を目の前にする年になった。今、一階はヘアサロンになっている、在りし日のD...カフェの店舗兼住宅を道路の向かいから見上げながら、葉子さんはもう華年を迎える頃になっているんだなあと思った。髪はもっと白くなっただろうし、皺も増えただろうけれど、葉子さんは全体としてそんなに変わっていないだろうという確信が僕にはあった。葉子さんは当時から完成された気品のようなものを纏っていた。品性というのは、身体が衰えるようには衰えていかない。
 僕はD…カフェでは芳香なベルガモットの香るアールグレイをよく嗜んだ。D…カフェにはポットサービスというメニューがあって、文字通りポットで供される紅茶をたっぷり愉しむことができた。ほがらかなカントリー調のカフェで、美しい葉子さんの所作を眺めながら、キルトのポットカバーでいつまでも温かいアールグレイを嗜む。これが僕の一つの幸福だった。
 今でも僕にとって紅茶と言えばアールグレイだし、ベルガモットの香りが口内に広がれば、脳裏には葉子さんの姿が蘇る。彼女は、今は僕が見上げる嘗てのカフェの上階で病床に伏しているのかもしれない。あるいは、そこはひっそり静まり返っているから、彼女はもうそこにはいないのかもしれない。葉子さんは一介の客に過ぎなかった僕のことなど覚えていないだろう。年の近い親子ほどの年齢差もあって、現実的にはほんの少しだけ――それも紅茶のことをあれこれ尋ねるような――言葉を交わしたに過ぎなかった。そもそも、葉子さんという名前だって、僕が小説の登場人物にそうあてがっただけのものに過ぎない。
 それでも、今はもうカフェを訪れる誰かのために淹れるのではなくても、あの美しい所作で自分のために入れた紅茶を――D…カフェの調子が葉子さんの好みに由来するものだとしたら――ああいう穏やかな空間の中で、幸せな面持ちで嗜んでいてくれたらと願わずにはいられない。
 葉子さん、あなたの淹れてくれたアールグレイは褪せることのない青春の思い出として、僕の胸の内で温かいままです――。

 

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