春瀬あやか

一粒の砂に世界を、一輪の野生の花に天国を見る。無限をその掌に握り、一時の内の永遠を――…

春瀬あやか

一粒の砂に世界を、一輪の野生の花に天国を見る。無限をその掌に握り、一時の内の永遠を――。美しい言葉を紡ぐということは、ブレイクが『無垢の予兆』の冒頭で詠ったことそのものだと思う今日この頃です。

最近の記事

Requiem to Yoko(葉子さんノオト)

 何から書き始めてよいものか、とりあえず言えることは、あれから十数年が経ったということ。  D…というカフェを僕がどのようにして知ったのか、今では定かではない。エントランスに手作りのプティと形容すべき“お庭”を持ったそのカフェは僕の趣味とは違ったから、当時付き合っていた彼女が見つけでもしてきたのだろう。  そんな思い出のD…カフェがもう何年も前に閉店してしまっていたことは知っていた。けれども、それは情報として知っていただけで、実際目にしていたわけではなかった。同じ市内ではある

    • 暗狭の小路(断片、改)

       二人の乗った汽車は、山深い高地をよじ登ったり、深い渓谷に沿って走ったり、そうかと思えば不意に開けた平地を心地良く横切ったり、高い空の下をハイキングでもするように愉しげに進んだ。  車窓から注ぐ、春先の日差しはまだ弱々しかった。私は上着を窮屈なくらい押しつけて――それは寒さを防ぐというよりは幸福を閉じ込めておくかのような仕種だった――お前と肩が触れあうくらい寄り添って座席に腰掛けていた。  お前は少し縮こまりながら、変化に富んだ窓外の景色に熱心に視線をさ迷わせていたが、その視

      • リテラシー

         ある程度の年齢を越えてしまったら(そうですね二十代半ばとかでしょうか)、“そんなこと”をしている暇があったら働いたらいかが?と思ってしまうことがあります。 “そんなこと”というのは、例えばSNSへの実りのない投稿です。大雑把に言ってしまえば、ああいうものは自己顕示欲や承認欲求を満たすためのツールですから、リアルでこれらの欲求が満たされていればこういったものに手を出すことはありません(芸能人や業者さんのコマーシャルとしての使用を除いては)。ですので、SNSに大量の投稿をする

        • 紫陽花の頃に

          ……泣いている女の子を見ていると、急に胸を締めつけられるような思いがした。酌り上げるでもなく、雨の日の紫陽花のようにしとしと泣く少女が愛しかった。  裏山の急勾配の獣道を抜けると不意に拓ける空間――地元の子供達のいわゆる秘密の遊び場――で、少女を泣かせている少年が、太い棒きれで苛立たしげに地面を抉りながら、頻りに“お前もやれよ”と僕に命令している。丁度、太陽は雲に隠れてしまった。僕は小さな拳を力一杯握り締めた。  俯いたまま、僕は少女の方に目線を投げた。少女は膝を擦り剥いてい

        Requiem to Yoko(葉子さんノオト)

          紅茶のある風景

           ――沈黙が音もなく退屈にすり替わるのを懸念して、「何か飲みます?」と彼女に声を掛けた。 「あ、紅茶セット持ってきましたから、お湯だけ沸かせてもらえたら……」 「もしかして?」 「アールグレイ?」  彼女は僕に調子を合わせて首を傾げながら言った。  もっぱらカップ麺のための湯沸かしとして使い古された薬缶が、彼女の手の中にあって英国の貴婦人のような顔をしている。独身の象徴的な台所に一人の女性が立っただけで、その飾り気のない空間は薔薇の花束を活けたようにぱっと明るくなる。真っ白な

          紅茶のある風景

          言葉の相対性について

          noteにいいねをくれる、イダヨコさん(私が勝手にそう呼んで毛むくじゃらにサングラスの方)が「言葉の相対性」という酔いに任せたツイートを集めたものを記事にしていて、私は何だかそれに違和感を覚えたのでした。 イダヨコさんは ・「文豪は、美しい言葉で自分の考えを語る」 ・「政治家は、美しい言葉で自分の考えを語る」 という二つの文を例にして、 『「文豪は~」と「政治家は~」の二つの文章。主語を変えただけで、「美しい言葉」の意味がまったく違います。私が。言葉は相対的に成り立っている

          言葉の相対性について

          花の雨

           こんなにも窮屈な街角に、彼女を見つけられた私は、幸運だったに違いない。  遊具のない、その公園とも広場ともつかない場所で、彼女は慎ましく生きるように、半ばひっそりと咲いていた。私は、其処に誰もいないことを悟ると、静かにベンチに腰を下ろした。  風は、ここ数日の冷たさが嘘のように暖かで、春の到来を告げるようだった。知らず知らずの内に自分の服装が薄手になっていたことにも、私は今更のように気が付いたのだった。  太陽は、薄霞のような雲に隠れているが、それでも目映い。大輪の花束を抱

          Tu me manques

          「――強いとか弱いとか、そんなんじゃないの。結局、淋しいという思いは、そういう思い自身によって助長されるものでしかないの」 「君は強いね」という彼の何気ない科白を遮るように、彼女は答えた。 「でも、君だって、淋しい思いをしたことはあるはずだよ。まだほんの子供の時分にとか……」 「淋しさってなんだろうって、時々思い出したように私は考えるのね。『あなたなしじゃ生きられない』なんて科白があるけれど、あれって嘘でしょう? 実際、私達は特定の誰かを失っても生きていけるし、誰もがそうして

          はぴねす

           爽やかな風の向こうに悠然と建つ――三島由紀夫の『暁の寺』の舞台にもなった――ワット・アルンの壺状の巨大仏塔が碧空に映える。寺院には、茫々たるチャオプラヤ川を舟で渡って参詣するというのもまた風情である。川を挟んで都心部と隔たっただけにもかかわらず、緑溢れるワット・アルンの日差しは驚くほど柔らかい。川面を撫でて吹き込むたおやかな風が、土産物屋の軒下に幾つも吊るされた風鈴を澄んだ響きで鳴らす――。仏塔から離れた川沿いに観光客は少なく、どこまでが寺院関係者か定かでない現地の人々がガ

          はなびら

          ――いつかまたこの桜の下で会いましょう。僕達はそんな約束をして別れた。  記憶の果てに追いやられた学生時代の淡い思いは徐々に霞みだしているが、どうしてかその美しさだけは褪せていかない。それどころか、輪郭を失ったことによって尚のこと美しさに拍車をかけるように……。  あれから何年経ったろう。時間の経過は振り返れば一瞬でしかない。僕は、彼女とそんな風によく語り合ったことを思い出していた。 ――時間は流れていかない、人が流れるようにして燃えていくの。時間が流れていくのなら、その痕跡