人への頼り方についての話(「依存」と「頼る」の違い)
こんにちは、こんばんは、教祖はるさんです。
最近noteの更新を頑張っています。
書くことはたくさんあるのですが、なんせ自営業というものは自分の作業の分量を決められるし、納期も無いような仕事をさせていただいているので、完全にnoteの執筆進行度合いというのは僕のモチベーションに依存しているんですよね。
ここ最近は、noteの執筆をするのに人を頼るということを覚え「ネタの発掘」から「執筆」「校正」などを他人を巻き込んで行うことにしています。
やはり誰かを巻き込んで作業をすると進度が格段に上がりますね。
この辺のお話も詳しく別の文章でできたらなと思います。(最近はこうやって文章を書きながら新しいネタの発見をしたりしています。)
さて、今回のお話は「人の頼り方」ということについて書いていきます。
実は冒頭のところで今回の話のキーワードとなる「頼る」や「依存」というワードを散りばめてみたのですが、お気づきになったでしょうか?気づいた人はすごいと思います。天才です。気づかなかった人は、まあ当たり前なので気にしないでください。
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それはさておき、世の中には「人を頼れない人」というのが多数存在します。
かくいう僕も「人を頼れなかったこと」が原因でnoteの更新ができないという問題にぶち当たってしまいました。
人を頼れないことは問題なのでしょうか?
答えは概ね「問題である」なんですよね。
その理由は、言葉遊びみたいになっちゃいますが「人を頼れない」と「人を頼らない」は別物だからです。
今現在「人を頼れない」を抱えている人が「人を頼れない」という「不可能」を意味する言い回しをするのは「頼ることができないことで何か問題が発生している」のであって、裏を返せば「その問題は人を頼ることで解決する可能性がある」ということなんですね。それができていないと言うことは、当然問題解決を実行できていないので「問題がある」と言うことができます。
僕がnoteを書けなかったことの原因を「人を頼れなかったこと」と表現したのは「頼る事ができたこと」で問題が解決したからです。
では世の中の「人を頼れない人」が、それが原因でどんな問題を抱えてしまうのかを、いくつか見ていくところから始めましょう。
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