イランの、アスガル・ファルハディ映画監督の作品をおもしろく見た日記
イギリスに、インディーズ映画の支援をミッションとして映画祭を主催しているLift-Offというグループがあり、わたしもそこへたどり着いた。有料会員になったり、講習を受けたりできるのだけれど、あるとき、オンライン講習会の参加者のひとりが、経済制裁を受けている国の場合の料金の支払いについて尋ねていた。
記憶をたどると、たしか、PayPalでは支払えない、といったことだった気がする。もちろんクレジットカードは通用しないのだろう。
イランからの参加者だった。つまりイランの人はイギリスが本拠地の商品を買えないらしい。インターネットは繋がっているけれど。
それぞれ自作のアイデアの絞り方をトレーニングする講習のあとで、急に社会の事情が飛び込んできて、経済制裁で個人の活動が制約を受けるんだ、などとびっくりしてしまった。じゃあなんだと思っていたのかといえば、企業の取り引きの制約のイメージで、個人が通販でなにか買う、といった小口の取り引きまでもできないことを、単純に驚いたのだった。
イギリス人の主催者はすごく驚いた風でもなく、対策を考えてみるから個別に連絡をとりましょう、といった風の対応をしていた。国際映画祭を主催している団体だから、たびたびあることなのかもしれない。ニュースなどで、イランと聞くと、そのことを思い出す。
イランのアスガル・ファルハディ監督 Asghar Farhādī の作品を続けて見た。ベルリンで金熊賞、アカデミーの外国語映画賞などを取っている監督です。1本見たら、すごく面白かったから、そのまま3本見ました。
『彼女が消えた浜辺』。
イランに対してのわたしの偏見もあるのだけれど、家庭内で女性と男性がすごく言い合ってることに驚きました。夏の旅行を親族が大移動して楽しもうという、その旅で事件が……というミステリーになっています。「お前も世話を焼き過ぎるな」とか、「あんたがからかったのがいけない」とか、日本のホームドラマと変わらないじゃーーん、というテクスチャーで、家族のいざこざ、連絡する、しないの喧嘩にハラハラしました。これ、世界共通ですね。
人のやり取りから文化が豊かな印象を受けました。雑ではない。ひとには事情があって動いて、役割を果たそうとして、主張もして(これがどろくさく、興味深い)、ひとを助けもする。モノは無いので貧しい風ではあるのですが、古いタイル、建物のつくりなどが美しい。ひとは連絡を取り合い、社会が動いている。日本の昭和の映画なんかも、そういう印象をほかの国に与えたのかもしれないなあと思いながら見ました。
ハリウッドでは、「○○した人物は死ぬ」というルールが抽出されていて、するとそれを逆手にとった展開などもありますし、それを、伏線だ、回収だ、と見つけることを楽しむ人もいると思います。アスガル・ファルハディ監督は、「○○だったのは△△」を映像で見せていて、すごくかっこいい!!!! 感じたことから監督の意図と呼応した瞬間があるとすれば、この映画が2倍も3倍も心に残るように思います。