雨の記憶

*今回はいつもの小説ではございません。自分の少し不思議な体験談のお話となっています



2019年、6月も半ばの頃

この時は一人暮らしを始めて数年が経過していました。大学にも慣れ、その日は講義もお休み。あいにくの雨でしたが、雨がそんなに嫌いではない僕は散歩をしようと紺の傘を差して外に出ていました

まさかこれが不思議な経験をする始まりだったなんて思ってもいませんでした


散歩が趣味だった僕は決まったコースがあったのですが、雨と風が少し強く海沿いであったそのコースは危険だからやめておこうといつもとは違う山の近くを歩いていました

田舎だった事もありますが、平日の昼間、雨も降っている中歩いている人はほとんど見られませんでした。呑気にゆっくり周りを見渡しながら歩いて、雨の音や景色を楽しんでいました。

近くにあった総合病院の奥に見える山は初夏を感じさせる青々とした木々が茂っており、夏が近づいてきているなと立ち止まって眺めていました。そこはちょうど横断歩道がある交差点になっていました。すると

「お兄さんなにしてるの?」

「ん?」

少々舌足らずな声が聞こえ、歩いていた道に目を向けるとついさっきまで誰もいなかったはずの僕の真隣に小さな男の子が立っていました

小学生くらいでしょうか。目の覚めるような青いレインコートに太陽のような黄色い傘を差した男の子です。何よりも目を引いたのが

その子の顔を隠さんとばかりに腕にたくさん持っていた美しいまでの青い紫陽花でした

さっきまでいなかったはずと考えながらも、小さいから見落としただけだと思い直しました。足を曲げてしゃがみこむとその子どもの目線に合わせました

「散歩してたんだよ」

「へ〜、こんな天気に珍しいね」

疑問が解決して嬉しかったのか明るい笑顔が返ってきました。その笑顔にどこかこちらも明るくなりながらも、問いかけました

「君こそ何してたの?」

腕にたくさんある紫陽花を見て、それを摘んでいるだけだとしたら別に雨の中じゃなくてもいいはずだ。わざわざ雨の日にしている理由があるのだろうと思いました

「紫陽花を集めてるの」

予想通りの答えに少し苦笑いをしました。それは見てわかるのだが、やはり雨の日である必要がないように感じました

「どうして今なのかな。晴れた日の方が集めやすいだろ?」

そう聞くと、子どもはどうしてそんな事を言うのだろうかというように首を傾げてしまいました。たくさんの紫陽花でよく顔が見えないが、どことなく居心地が悪くなり、別の言い方をしてみる事にしました

「そんなに紫陽花集めて何に使うの?」

「お母さんにあげるんだ!お母さんがね、青空が見たいって言ってたの!だから青空を見せてあげたくて。

ほら、この紫陽花、青空みたいでしょ?いっぱい持ってけばお母さんが喜ぶかなって思ったの」

なるほど。言われてみれば、子どもの持つ紫陽花は透き通る空の色にとてもよく似ていました。その発想を面白いとも、子どもの純粋な心を可愛らしいとも感じて自然に笑顔になっていました

「そっか….お母さん、きっと喜ぶよ」

「うん!」

母親への愛情が溢れるような笑顔でした。ふと、自分はこんなにも家族に対して愛情を向けただろうかと考えて余計な事を考えるのはやめようと思い直しました

「じゃあ気をつけて家に帰るんだよ。雨で滑りやすくなってるから、道には気をつけて。お母さんに紫陽花あげる為にもね」

「うん、ありがとう。じゃあね、お兄さん!」

紫陽花で両手が塞がって手を触れない代わりに元気よく笑って挨拶を返してくれました。それに小さく手を振ってそのまま散歩を再開しました


そうして3週間後

「あ、こんにちは。お兄さん」

「こんにちは。……また会ったね」

あの出来事から三週間、梅雨は明けそうになかったがこの子どもはあれから雨の降る日、決まって僕の前に現れるようになっていました。この子は決まって同じ条件下で現れるようでした。雨が降っている事、一人でいる事、そして同じ場所にいる事

変わるのは日にちと自分の服装だけ。子どもの容姿は変わらず目の覚めるような青いレインコートと太陽のような黄色い傘、そして腕にたくさん持っているあの青い紫陽花です

小走りでこっちに向かってくる子どもを見ながら両手にある紫陽花の見事さに感心すると共に訝しく思っていました。そろそろここまでの紫陽花を見つけ出すのは難しいはず。あれから雨の日以外も決まってここに散歩に来ていましたが、なぜか晴れている日は出会いませんでした。自分の中でかすかに抱いていた疑問が確信に変わるのは不思議ではありませんでした

「また会えたね!」

「….ねえ、なんでいつもここにいるのかな」

1番気になるのは変わらない容姿と紫陽花だが、先に無難な疑問が口から出ていました。たまたま散歩する日が同じだ、というのはいつも全く同じ場所で会う理由にはならないと考えていました

「あそこにね、お母さんがいるからなの。本当はお母さんと一緒にいたいけど……駄目なんだ。お母さん、ずっとあそこにいるの。病気だからたまにしか会えないんだ」

子どもが指さした場所にあったのは少し古くなった総合病院です。この地域ではそこそこ大きな病院の為、何度か訪れた事もありました。子どもの言葉はつまり、母親がそこに入院しており、面会も限られている。即ち、症状が思わしくない事を示唆していました

「……」

少し想像と違った返答に口をつぐませていると

「どうしたの?」

不思議そうに見上げる子どもの目線に少し落ち着きを取り戻しました

「いや、なんでもないよ。お母さんにあまり会えないんじゃ寂しいな。早く元気になるといいな」

そう言うと、子どもは少し悲しそうな表情になってしまいました。あれからずっと元気な明るい顔しか見てこなかったから僕は少し焦った顔を浮かべました

「うん…..お母さん、雨の日は元気ないの。でも、晴れの日はちょっと元気になるみたい。それでね、この前青空が見たいって言ってたの。だけど、ずっと雨ばっかりだから中々見れなくて。

だからね、青空の代わりに紫陽花持ってくの……でも、ずっとお母さん、元気ないの」

おそらく、僕と会う以前から母親に会えていないのだろうと思いました。話しているうちにどんどん表情がくしゃりと歪んでいき、潤んだ瞳から涙がポロポロと零れていきました。なんとか泣き止まないかと思って辺りを見渡すと、あるものが

「ちょっと待っててな」

一分ほどで子どもの場所に戻ると、持ってきた物を目の前に差し出しました

「ほら、これ」

「え?」

それは子どもと同じような、青空を切り取ったかのような青い紫陽花。同じ物を見つけて元気づけようとしました

「そのいっぱいの紫陽花、お母さんにあげるために集めたんだよね。これも持っていって。お母さんに会えないなら、せめて紫陽花だけでも中に入れてもらってさ。そしたら、お母さん元気になるかもしれないよ」

「…..くれるの?」

驚いたような顔をする子どもに微笑みながら頷きました。すると、子どもはいつも通りの明るい見慣れた笑顔に戻りました

「ありがとう、お兄さん。……あのさ、一つだけ、お願いしてもいい?」

「ん?いいよ」

すると、子どもは少し僕から離れて近くにあった横断歩道の横に来て止まりました

「あのね、ぼくがいなくなったらここにある紫陽花をお兄さんのその紫陽花と一緒にお母さんに届けてほしいんだ」

「….僕が?でも、それは君が」

「ぼくね、紫陽花持っていけないんだ。だから、お願い。お母さんに届けてほしいの。お母さんは105号室にいるよ。ぼくの名前は、○○○○(伏せさせていただきます)

お母さんにね、ぼくは元気だからお母さんも元気になってねって伝えてね。……ずっとずっと言ってるんだけど、聞こえてないみたい。ぼくがあそこに行くと、おかあさん元気じゃなくなっちゃうの

もうなかないでってつたえてね」

子どもが話すたびにどんどん姿が薄まっていきました。目の覚めるような青いレインコートも、太陽のような黄色い傘も、空を切り取ったような青い紫陽花も、子ども自身の姿も透明になっていきます

「…..やっぱり、君は」

わかっていた事実。でもどこか希望を持ちたかった願いとぶつかってやるせない気持ちになりました

「おかあさんにげんきになってほしくて、あじさいあつめてたらね、おおきなくるまにひかれちゃったの
すごくすごくいたくて、くるしかったの

でも、きづいたらここにいてもういたくなかったの
おかあさんにもあいにいったんだけど、みんなぼくにきづいてくれないの
おかあさん、ずっとわたしのせいだってないてるの。なかないでっていってもきこえてないみたい

おかあさんのそばにいるとぼくはげんきになるんだけど、おかあさんがげんきじゃなくなっちゃうの
だから、おにいさんがかわりにつたえてね
やくそくだよ」

そう話して行くたびに、薄くなった子どもの体が変わっていきました。綺麗な傘は破けて骨がむき出しに、青いレインコートは血や泥がたくさんついて、子どもの姿もまた、無惨な傷があちこちに現れていました

その姿に恐怖や戸惑いを感じ、目を背けたくなりながらも、今だけはしっかり見つめないといけないと強く思いました

「うん、約束。ちゃんとお母さんに伝えるからね」

そう言った瞬間、傷だらけの子どもはとても幸せそうに笑ったのを最後にすうっと消えて見えなくなりました

子どものいた足下には、腕にたくさん持っていたあの美しい青い紫陽花が供えられていました

それを持って、総合病院に入りました。105号室にいる、あの子の母親の元へ。約束を果たすために



コンコン

小さくノックをすると、中から男の人の声が

ガラリ

扉が開くと、そこには男の人が立っていました

「君は….?」

見た事もない人がいた事に戸惑いを隠せないのがよくわかりました。当然だと思います、普通なら僕はここにいないのですから

「初めまして。僕の名前ははるさめと言います。実は、とある方からこちらにいる○○さんへ贈り物があったのでお持ちしました」

そう言って、男の人へあの紫陽花を渡しました

「紫陽花…..。とある方、とは?」

「…..少し中に入りますね」

扉を閉じて、1歩中に入りました。ベッドには青白くなった女の人が点滴に繋がれて、横たわっていました。ぺこりと会釈すると、その人も会釈を返してもらえました

「贈り主は、○○○○君。あなた方の息子様になります」

その名前を口にした途端、二人の空気が変わりました。父親と見られる男の人は目を大きく開き、ベッドにいる母親は口に手を当てて驚いていました

「どうして….その名前を」

「三週間ほど前に初めて出会って少し仲良くなったんです。そして先程直接渡されたんです。お母さんに青空を見せたいんだ、と。そこの横断歩道の所です」

「あ….あああ….あの子が…..」

父親が膝をついて床に崩れ落ちました

「なにか、なにか言っていましたか?私を…..恨んでいたり」

ベッドにいる母親が震えながら小さな声でそう言いました。相当勇気を出したのだと思います。布団ごと強く握りしめている手が印象的でした

「いいえ。ただ、こう言っていました。僕は元気だからお母さんも早く元気になってほしい、と。もう泣かないでほしいと言ってましたよ」

「……本当に….本当に、○○がそんな事….を?」

「はい。青空が見たいと言ったそうですね。○○君、頑張ってその青空みたいな紫陽花を持っていきたかったみたいですよ。持って行けない事を、酷く残念がっていました。だから代わりに、僕がお届けしました。○○君との約束です」

しばらく夫婦は肩を寄せあって泣き続けていました。釣られて僕も少し泣きそうになりながら、静かに二人を見ていました。病室の窓からはあの横断歩道の道がよく見えました。そして窓の近くには、あの綺麗な空を切り取ったような青い紫陽花が咲いていました



それから梅雨が明け、夏がやってきました。僕は照りつける暑い陽射しに苦戦しながら例の横断歩道の前までやってきました

あの後、夫婦から事件の話を聞きました。雨の中、居眠り運転をしていたキャンピングカーが信号無視を起こして、あの子どもが巻き込まれたそうです。ブレーキすら踏まずにスピードを出していたキャンピングカーは、子どもを巻き込んでずっと先まで突き進んだそうです

持っていた美しい青い紫陽花もバラバラになり、酷い有様だった、と

明るい笑顔を浮かべて懐いてくれた子どもや優しい夫婦を思うと、その事件がとても苦しくて仕方ありません

「せめて、そっちでは安らかにね」

僕は静かにそう言って持ってきた子ども用のジュースを何本か置きました。手を合わせて静かに祈りました。こんな子が増えない事を祈って


僕はそういう類の者が見える時があります。話しかけられたりしても基本何もしないのですが、今回のように何か伝えたい想いがあった時は別です。成仏してもらう為にも少し動く事があります


後々ふとした拍子にわかったのですが、子どもが持っていたその青い紫陽花はどうやらてまりてまりという品種だそうです。花言葉は「家族団欒」、わかった時に泣いてしまいましたね


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?