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自分の最後の姿は、今のわたしに染み出てくる
毎日の散歩の楽しみは、どんどん変化していく植物を観察すること。
こんな所に、こんな花があったんだなぁと日々発見がある。
全てのものは変わっていく
そんな一斉に咲いては散っていく、凄まじい変化を見せる植物たちの生命力は力強く、
人間だけが変化を恐れて、安定という幻想を求めているんだろうなと感じる。
歳を重ねて老いることも自然な流れだし、若ければ良いという価値観は、若い頃から私にはないけれど、多くの人はその固定観念に囚われている。
歳のせいにしない
私は歳を重ねてどんな自分が現れるのかを楽しみにしているけれど、それでも疲れやすくなった事を歳のせいにしてしまいそうになることもある。
衰えるという事は、年齢ともちろん関係がある。細胞の新陳代謝は遅くなるしホルモンバランスも変わってくる。
それでも、そこにフォーカスするのではなく、健やかであろうとする事に意識を向けて日々を過ごしていれば、きっと若い時とは違う人生の面白さがあると思う。
経験があるからこそ、経験を深く味わえたり積み重ねの先にしか見えない景色もあると思う。
どうやって死にたいか
私は、同じような、でも満たされた毎日の中で、穏やかな日差しの中うとうと昼寝をするように死にたい。それが、自分の最後のイメージ。
病院で死にたくないし、最後まで自分の足で歩いて好きな物を食べていたい。
それを決めて逆算しているから、そこに向かえるように必要な事を選んで今から習慣にしている。
散歩もそうだし、ささっと自分のために食べたい料理を作ることも、多分未来の歳をとった自分へと繋がっている。
やりたい事はすぐやる
私は海外へ行きたいと思ったらすぐに動き始めるタイプで、今までの最短記録はパリに10日後には行っていたこと。
今はコロナで気軽にどこへでも行かれる訳ではないけれど、思い立ったら即行動の理由は、「明日死ぬかもしれない」という事が、私の深い所に浸透しているからだと思う。先延ばしにしたら、2度と出会えない景色がある。
それは、近所の散歩でも同じ。
そんな気持ちをベースに毎日を過ごしていると、道端の花の命に会えることすらも、とても貴重だと感じるのです。