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広島の磁場と音楽のあと先

磁場というものが、確かに存在するんだって思った。それはバイブスともいうかもしれないし、空気なのかもしれないけれど、その土地のその場所のその空間にいる人たちの集まりの中で起きる目には見えない力みたいなものが確かにあるのだと思った。


広島 横川 本と自由。平成から令和へとしなやかに移行しつつある広島においても、その発展や進歩に抵抗するわけでもなくしれっと別ルートに腰を下ろしたような街のビルのほとり。中一面ぎっしりと古い本に囲まれていた本と自由という古本屋は、古本屋にも関わらずお酒も飲めて音楽も盛んに鳴らされてきたシミみたいなものがその空間にしっとりと佇んであった。

広島に住む広島の人という人たちに、僕はこの日の主催者のドッグフード買い太郎くんを除いて、会うのはほぼ初めてだったと思う。横川のその本と自由に集まっていた人たちは、なんだか日本の西の方で「東京って何それおいしいの?」って顔しながら、自分たちの日常を楽しんでいるように見えた。穏やかな人間関係の中で、「僕たちの楽しみ」をもって生きているように見えた。


あまり他の出演者の方々のことをここに書くのはしないでおこうって決めているんだけれど、それでも原田茶飯事さんは、やっぱりずっと駆け出したくなってしまうほどに素晴らしかったと書かないことには話が進まない。それは毎日のように日本各地に渡りながら百戦錬磨で培ってきた考え方と音楽の技術と歌心に裏打ちされていると勝手に想像するのだけれど、それぞれのスタイルはあれど、やっぱりあんなふうに手さばきや言葉、機転、表情でお客さんを魅せながら目の前で音楽を料理のように調理してステージにしてしまう姿を同じ場所の同じお客さんの前でされてしまうと、憧れずにはいられないです。僕は茶飯事さんより年下でよかった、とも思います。嫉妬しなくて済むからね。

僕は、途中に弦を切れど、最後まで心の潤うような瑞々しい時間を過ごさせてもらいました。それは、上述のように、永きに渡って営まれてきた本と自由の空間で、どっかの誰かではなく、地元広島から出演していたミカカさんと、買い太郎くん、東京の茶飯事さんが呼んでくれたお客さんたちの前でやらせてもらったからだったのかもしれないなと、いま思います。


そう思うと、これまでの自分の反省はいつもあれど、想像以上に満たされた気持ちになれたライブには、この日と同じように、その場所とそこに集まっている人たちの力があったような気がしてきます。


「ライブはステージの上の僕たちだけが作るんじゃなくてみんな(お客さん)で作ろう」みたいな呼びかけをステージ上からしているミュージシャンをときどき観たことがあるけれど(僕はそんなことを言う勇気も希望もないけれど)、その考え方をもっと押し進めると、ステージで言う言わないは別にして、知らないうちに、空間そのものと、そこにいる音響、照明、共演者、お客さんなど全ての人で作られていたステージだったのだなって思った。

僕はその磁場の上で、自分の音楽を、最大限に引き出せる音楽をできる人間になりたいと思った。そしてそれはきっとミカカさんや茶飯事さんや買い太郎くんとも違う、自分だけの方法があるんだと思うから、見つけたい。

この日の磁場は強すぎて、終演後も界隈の地元の方が美味しいオードブルやおつまみの差し入れを持ってきてくれたり、店主の青山さんが歌い出したり、茶飯事さんが生音で僕も大好きな「太陽」という曲を歌ってくれたり、すごい面白い人に絡まれ続けたりして、また広島に帰ってくるには十分な思い出をいただきました。

リリースツアーの広島編としても行ったこの日、初めて僕を知ってくれたお客さんの何人かが褒めてくれたりCDを買ってくれたりしたのもとても嬉しかったです。ほとんどまだライブで演奏をしていないリリースした曲をいいと言ってくださる方もいて、遠いところまで来て本当によかったなあと思いました。


ミカカさんは、何しろ基本は本屋さんなので難しい音作りも妥協なくリハーサル時から熱心に取り組んで音響を担当してくれ、ご自身もステージで魂と憂鬱のこもった歌を歌ってくれて本当に素敵な方でした。


買い太郎くんは、僕が広島に行きたいといったその日からすぐにお店の予約や出演者、フライヤー作りまでやってくれて、当日にお客さんも身動きが取りづらくなるくらい呼んでくれていて、素晴らしい音楽を聴かせてくれて、また終わったらぽんとそこに居るみたいな素朴なしなやかさで愛さずにはいられない存在でした。


リリースツアーとしては、4公演目でしたが、僕も少しずつ新しい曲の意味やこのツアーの意味がまた見えてきたみたいで嬉しいです。


次は少し空いて、12/27(金)名古屋に一度戻ります。また蓄えて消化して、ステージにあがることを楽しみにしています。


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