『資本主義の家の管理人』~市場化した社会を癒す希望のマネジメント 第四章 事業と経営
第四章 事業と経営 ~時を告げるのではなく、時計を作れ
<本章の内容>
この章では、事業と経営の違いを明確にし、その本質的な価値について探求しています。特に、「時を告げるのではなく、時計を作れ」という比喩を通じて、経営の本質を深く掘り下げています。
1.発明と事業、事業と経営
21世紀の世界を大きく変えたアップルのスマートフォン。その原型は、1960年代後半にコンピュータ科学者アラン・ケイが構想した「ダイナブック」でした。当時、大型の汎用コンピューターしか存在しなかった中、アラン・ケイは、小型で軽量、持ち運び可能なパーソナル・コンピューターという概念を編み出しました。直感的に操作できるGUI(グラフィカル・ユーザー・インターフェイス)の技術を用い、それまでの大型計算機というコンピューターの常識を、個人用の情報通信機器として再定義したのです。
それから10年後、アラン・ケイが働いていたゼロックスのパロアルト研究所を訪れたスティーブ・ジョブズは、この画期的な構想を発見し衝撃を受けます。この偶然の出会いが、その後のiMacやiPhoneなど画期的なアップル社の製品開発へとつながっていったのです。
「iPhoneの生みの親はあなたではなく、アラン・ケイではないのか」。そう問われたジョブズは、「偉大なアイデアと偉大なプロダクトの間には、膨大なクラフトマンシップが求められる」と答えたと言われています。
アラン・ケイのアイデアがジョブズに発見されるまでに10年、それがiPhoneとして製品化され、発売されるまでにさらに30年。偉大なアイデアが製品になるには、気の遠くなるような膨大な作業と技術の蓄積が必要なのだ。私はそれを成し遂げた。ジョブズのこの言葉には、事業家としての彼の自負と誇りが強く感じられます。
ジョブズが言うように、発明が事業となるためには、デザインや生産工程の検討、材料の選定や設備の調達、資金や人材の確保、ブランディングやマーケティング、販売活動など、膨大なプロセスの構築が必要です。この一連の工程を築き、製品を世に送り出すのが事業家の仕事です。発明と事業の違いは、このiPhoneの例から容易に理解できるでしょう。
しかし、事業はゴールではありません。構想すること、形にすること、持続させることはそれぞれ異なる価値を持つ仕事であり、事業を持続させるには、また別の役割が必要になります。それがマネジメントです。
事業と経営の違いを考える興味深い例として、古代ローマの英雄ユリウス・カエサルと、カエサルの暗殺後に帝国の発展の礎を築いた初代皇帝オクタヴィアヌス(後のアウグストゥス)が挙げられます。
才気あふれる軍人だったカエサルは、兵を率いてガリア地方(現在のフランス)を制圧し、ローマの領土を大きく拡大しました。そして、あの有名な「賽は投げられた」という言葉とともに、タブーであった軍を率いたままでのローマ凱旋を強行し、終身独裁官に就任します。しかし、独裁的なカエサルと共和制を擁護する元老院の対立が次第に深まり、カエサルは元老院の議場で反対派に襲われ、命を落とします。カエサルは、個性豊かで、創造性に富み、人を惹き付ける魅力のある人物でした。軍事のみならず文才にも優れ、『ガリア戦記』などの優れた著作を残しています。
対照的に、カエサルの甥で養子となったアウグストゥスは、地味な性格で、体力に恵まれず、軍事も不得手で、文才もありませんでした。しかし、彼は慎重かつ戦略的に、「自分は独裁者ではない」というイメージを打ち出し、元老院との関係を修復しました。そして、カエサル亡き後の戦乱を収拾し、帝国の発展の基礎を築いたのです。
カエサルによってローマは共和政から帝政に移行し、その後、西ローマ帝国の滅亡まで500年、東ローマ帝国も含めれば1500年にわたり、広大な国土と繁栄を維持します。現代西欧社会の歴史的・政治的・文化的ルーツであるローマ帝国は、カエサルという偉大な事業家によって創業されたのです。
その後を継いだアウグストゥスは、戦乱を収拾し、元老院との協力関係を維持しました。また、公共施設や道路網などのインフラを整備し、行政機構を整え、帝国各地の都市と経済の発展を促進しました。「パクス・ロマーナ(ローマによる平和)」の礎を築いたアウグストゥスは、苦手な軍事を盟友アグリッパに委ねるなど、他者の力を巧みに使い、冷静沈着かつ辛抱強く、時間をかけて戦略を遂行しました。数世紀にわたる広大な帝国の繁栄の礎を築いたアウグストゥスは、まさに名経営者でした。
活版印刷や自動車、インターネット、スマートフォン、そして生成AIのように、偉大な技術や製品は社会を一変させる力を持っています。新しい製品やサービスを創り出し、世の中を変えていく「事業」は、心躍る仕事であり、成功すれば大きな富と名声をもたらします。事業家は、舞台の上でスポットライトを浴びて演じる主人公です。
一方、「経営」は地味な仕事です。資本を整え、資本をつないで価値を生み出し、それを持続させるのが経営者の役割です。経営者は舞台の上で演じる主人公ではなく、主人公は他の人々です。経営者は華々しく人目を引くことはなく、資本家と違って大きな富を手にすることもありません。
では、経営者は何のために働き、その仕事は誰にどんな価値をもたらすのでしょうか。
会社の重要な機能は、個人の知見を集合知に変え、それを保存し、熟成させ、価値を高めて未来に受け渡すことにあります。個人の知見は、それが個人に留まる限り、命が尽きると消えてしまい、価値が蓄積されることはありません。会社が「テセウスの船」として、個人の知見を集合知にして未来に受け渡していかなければ、人間社会は発展しないのです。
そうであれば、経営者の仕事は、傷んだ船を手入れして長く航行を続けられるようにすることです。会社が存在することで、1年で30の利益を出して終わりにするのではなく、10年かけて利益を100にし、その価値をさらに高めて持続させることができるのです。
売り上げを拡大するために過剰に材料を仕入れたり、設備や人員に過剰投資したり、市場が求める以上の商品を生産すれば、会社はたちまち破綻します。売上と経費、仕入と販売と在庫のバランスを保ち、資本を最適に稼働させることで、会社は活動を持続させることができます。バランスを取り、持続させて価値を生み出す。その役割を担うのがマネジメントなのです。
金融の世界では、時間は不確実性を増すリスクとされ、なるべく短期間で多くのリターンを得ようとします。しかし、経営の世界では、時間はリスクを分散し、チャンスをもたらします。例えば、資金力の乏しい会社が100の投資を必要とする場合、無理して1年でその投資を実行すれば資金が回らなくなりますが、毎年10ずつ分散して投資をすれば、10年という時間軸でその事業を実現できます。さらに、時間は信用、ブランド、ノウハウなどの重要な資本を熟成させ、会社の価値を強固にするのです。
これが、市場(マーケット)と会社(カンパニー)の目指すものの違いです。言葉を変えると、市場の目的は自己の利益の追求であり、会社の目的は価値を蓄積して未来の知らない誰かに届けることです。市場は短い時間軸による自己の利益を追求し、会社は長い時間軸による知らない誰かの利益を目的とするのです。
こうして「経営者の報酬は何か」が明らかになります。経営者の報酬は自己の利益ではなく、知らない誰かからの感謝です。その感謝が見えた時、経営という仕事の楽しさとおもしろさが実感できるのです。
経営という仕事の主人公が自分以外の誰かであることは、その誰かの信頼を失うと経営は力を失うことを意味します。したがって、経営者には他者や社会から信頼される人格が求められます。それに対し、事業家は自分が主人公なので、他者や社会の信頼によって自らの力が左右されることはありません。むしろ、事業家はバランスよりも突出している方が価値を発揮できます。人格が疑われる事業家が大きな成功を収めることがあるのはこのためです。その実例を私たちは何人も思い浮かべることができるでしょう。
時代を超えて繫栄する企業を研究したジム・コリンズは、『ビジョナリー・カンパニー』(1994年)という本の中で、それらの会社に共通する特徴を、「時を告げるのではなく、時計を作る」ことだと書いています。事業は時を告げること、経営は時計を作ることです。
発明、事業、経営は、それぞれ人間社会の発展に欠かせない役割を担っています。しかし、その性質が異なることを知っておかなければなりません。発明は価値を発見する仕事、事業はその価値を社会に実装する仕事、経営は価値を持続させ、未来の知らない誰かに受け渡す仕事なのです。
2.マネジメントの3つのスコープ
事業と経営は異なるものであるにもかかわらず、世の中には両者を混同したり、事業の拡大に夢中で経営がおろそかになっている会社がたくさんあります。事業と経営の違いが分からず、売上や利益の拡大を優れた経営の証と考えている人もいます。
こうした状況が生じる原因は、経営には範囲の異なる3つの対象があるからです。1つ目が事業、2つ目が会社、3つ目が「会社と外の世界との関係」です。
ここからは、事業をビジネス、経営をマネジメントという言葉に換えて説明しますが、基本的に同じものを指していると考えてください。
1つ目は、ビジネスのマネジメントです。これは、製品の企画、生産、販売のプロセスを管理することです。原材料、機械設備、人員などの調達と、適量の生産とタイムリーな市場への投入など販売と在庫のバランスを保ち、利益を確保するのがビジネスのマネジメントです。この次元では、ビジネスとマネジメントのスコープが一体化しているので、両者を分けて考えることが難しいのです。
2つ目は、会社のマネジメントです。これは、ビジネスに加えて会社の活動全体を管理することを言います。会社には、人の採用・育成、評価や適材適所の配置、組織間の連携・協力、優れた企業理念、健全な組織風土の醸成、家族も含む従業員の生活向上など、ビジネス以外の要素や営みがたくさんあります。マネジメントの関心がビジネスに偏れば、それ以外の要素への対応が手薄になり、不祥事、退職、ハラスメントなど、人と組織に関わる問題が発生します。
3つ目は、会社と外の世界との関係のマネジメントです。これは「事業体」のマネジメントと呼ぶことにします。事業体は会社の枠を超えた動的な概念であり、会社と社会や自然環境との相互関係を指します。事業体のマネジメントの具体例として、パタゴニアやブルネロ クチネリなどが挙げられますが、これらの会社のマネジメントがどのようなものかは終章で詳しく取り上げます。
事業から会社へ、会社から事業体へと視界を広げていくことで、対象となる資本の範囲は広がり、資本の質と量の強化が図られることにより、企業の経営基盤は強化されていきます。
会社がテセウスの船であるためには、事業体のマネジメントまでをスコープに入れることが不可欠です。
3.ローマは一日にして成らず
知力も、体力も、技術力も、経済力も、周辺国と比べてどれひとつ一番でなかったローマ帝国が、500年もの長きにわたり、欧州大陸からイギリス、エジプト、中東、北アフリカに至る広大な版図を統治し続けることができた理由はどこにあったのでしょうか。作家の塩野七生さんは、大作『ローマ人の物語』の中でその理由を問い続けました。
紀元前8世紀に建国されたローマは、カエサルによって共和制から帝政に移行した後も、異民族の侵入や外部の大国カルタゴやパルティアとの戦い、新たな宗教権力であるキリスト教の台頭などに悩まされつつ、紀元476年に西ローマ帝国が崩壊するまで続きました。ラテン語やローマ法、古代ギリシアから受け継いだ芸術や哲学、ローマ街道や水道、公共建築物など、ローマが生み出した重要な歴史遺産の文化的・経済的価値は、3000年の時を経て現代に引き継がれており、その価値は時間の経過とともにこれからも一層高まっていくに違いありません。
ローマはなぜ、かくも長い間繁栄を保つことができたのでしょうか。
後世の歴史家はその理由を、ローマの為政者たちが被征服民族に対して寛容な同化政策を採り、積極的に人材を登用し、人々の移動と交流を活発にするために、帝国内にローマ街道を張り巡らし、水道や浴場、劇場など、生活向上のインフラの充実に努めたことに求めています。
そして、ローマ社会は、その繁栄をもたらした施策と逆の方向に進むことによって衰退していきました。そのことを塩野七生さんはこう説明しています。
「ローマ世界は、地中海が『内海』(マーレ・インテルヌム)ではなくなったときに消滅したのである。地中海が、人々の間をつなぐ道ではなく、人々をへだてる境界に変わったときに、消え失せてしまったのだ」。
古代ローマの歴史遺産は、持続が生み出す価値の大きさと、人々の交流と社会基盤の整備が繁栄の鍵であったことを教えてくれます。
会社の経営においてもこれは何ら変わるところはありません。マネジメントの役割は、一時的な成功や個人的な利益を超えて、未来の世代に価値を引き継ぐ仕組みを作り上げることなのです。この長期的な視点と社会への貢献が、マネジメントという仕事の本質であり、未来の知らない誰かからの感謝がその報酬となるのです。
希望のマネジメント
第5条 「時を告げるのではなく、時計を作る」
<本章のまとめ>
発明と事業が異なるように、事業と経営も異なる。事業を持続させるのが経営である。
事業家と経営者の違いを象徴するのが、ローマ皇帝のカエサルとアウグストゥスである。カエサルは帝国を創り出し、アウグストゥスはその帝国が長く続く基礎を作り上げた。
マネジメントには、「事業」、「会社」、「社会との関係」という3つのスコープが必要である。
事業家は舞台に立つ仕事だが、経営者は上手に演じてもらう仕事である。事業家は必ずしも人格者である必要はないが、経営者には他者の信頼を得る人格が欠かせない。
ローマ帝国の繁栄と衰退は、人々をつなぐ社会の基盤がいかに重要かを示している。