クリスマスにコンクリートを欲しがる息子の話
数日前、意気揚々と長男が私にこう告げてきた。
「お母さん、俺今年のクリスマスプレゼント決まった!!」
「お、なになに?」
「コンクリート!!!」
……コンクリート?
「コンクリートって…何?」
「だからぁ、庭をコンクリートにして欲しいってこと!そしたら雨降ってても練習できるじゃん」
我が家の庭にはバスケゴールがある。雨が降るとそのぬかるみが乾くまで練習出来ないのが、彼はずっと不服そうだった。
「コンクリート買ってくれたら、俺毎日練習するよ!!」
うん、知ってるよ。何なら今だって毎日練習してるじゃん。週6で体育館で練習してるし、家の中でもハンドリングやらドリブルやらしてるじゃん。
「まだ練習したいの…?」
恐る恐るそう尋ねた母に、長男は呆れたような顔をしてこう答えた。
長男はブレない。夢に向かってひたすらに突き進む。そして、自分がその夢を叶えられると心の底から信じている。その底力は一体どこからくるのだろう。
私は自慢じゃないが、自己肯定感は高くない。いつもどこか自信がなく、オドオドしてしまう。強く願っていることでも、”本当に叶うのだろうか”と思ってしまうこともよくある。
私のお腹からオギャアと泣いて生まれてきた息子は、私とは正反対だ。親子といえどもアイデンティティは全く異なる個々の人間だ。息子たちを見ているとそのことを日々痛感する。もちろん似ているところもある。長男、次男共にHSP気質で、人より繊細な感受性を持っている。そういうところは私とよく似ている。でもその他の部分は真逆と言っても良い。
子育てをしているとついつい自分の子は分身だなどと錯覚を起こしそうになるが、そんなことはない。大切な存在であることに違いはないが、自分から生まれてきたのだから何でも分かり合えるはずだというのは思い込みに過ぎない。
違う、って面白いなぁと思う。違う人間同士だからこそ学べること、気付けることがたくさんある。
◇◇◇
以前、特性診断を受けた経験がある。その際のアセスメントシートを見ると、配慮、誠実が高いのに対して、安定性、回復力が極端に低い。しかし長男は回復力が驚異的に高い。ちなみに次男も同じくである。アセスメントテストを彼らが受けたら、この数値がピンポイントで跳ね上がるのではないかと思っている。もちろんこれは私から見た印象なので、実際は違うかもしれないが。
嫌なことがあったとき。辛いことがあったとき。長男は、「俺ちょっと走ってくるわ」と言って汗だくになるまで走る。そして帰ってきた頃にはすでにスッキリした顔をしていて、元気な声でこう言うのだ。
「お母さん、今日の晩飯なに?!」
嫌なことも辛いことも、汗と一緒に流れ出てしまうタイプらしい。すこぶる羨ましい。
また、私は批判耐性もとても低かった。100という数値のうち、私の批判耐性の数値は14である。14って…。
しかし息子たちは違う。彼らはめげない。叱られても叱られてもすぐに這い上がり、尚且つそのことを非常にポジティブに受け止める。バスケでコーチに厳しく叱責されたときも、「期待しているから怒るんだって!俺めっちゃ期待されてんじゃん!!」と帰りの車内で嬉しそうに話してくる。もはやここまでくると脳の作りが全く違うのだと思わざるを得ない。息子の批判耐性は、きっと90台の数値を叩き出すのではないかと個人的には思っている。
同じ親子でもこんなに違う。人はみな自分にないものを求めるので、私は息子たちが羨ましい。でもイコール私が人間的に劣っているということにはならない。得意、不得意は人によって違う。料理が得意な人もいれば掃除が得意な人もいる。直感的に動ける人もいれば確実な下準備をして物事に臨む人もいる。まさに、”みんな違ってみんないい”なのだ。
「違う」を認め合う意味を、日々考える。もちろん人には相性というものがあるので、合わないなぁと感じる人もいる。苦手だなぁ、と思う人も。それ自体は普通のことで、悪いことではない。
息子たちとの関わりのなかで思うのは、「違う」イコール「合わない」ではないということ。違うからこそ面白い。毎日色々な発見があり、次は何をしてくれるんだろうとワクワクする。私にはない素敵なところがたくさんある。
相手の素敵なところを見つけると、自分も笑顔になれる。「違う」を面白がれると、子育ても人付き合いもぐっと楽になる。
同じである必要なんてない。すべてに共感できることだけが正解じゃない。そんなふうに思えるようになったのは、つい最近のことだ。
それぞれの個性、魅力がもっと自由に、のびのびと羽ばたける世の中であって欲しい。性別も年齢も関係なく、一人の”ひと”として認めてもらえること。子どもも大人も、それを強く求めているような気がする。
思慮深い人。穏やかな人。決断力がある人。行動力がある人。聴くのが得意な人。話すのが得意な人。
お互いの長所を引き出し合える。違うを認め合える。そんな人間関係でありたい。親子も、友人も、仕事仲間も。
その先には、新たな自分との出会いが待っているかもしれないから。
ちなみに長男のクリスマスプレゼントは、予算的にどうしてもコンクリートは無理だと説明して諦めてもらった。やってあげたい気持ちは山々だが、何事も出来ることと出来ないことがある。
渋々納得してくれた彼は言った。
「じゃあ俺が大人になっていっぱい稼げるようになったら、庭をコンクリートにしてもいいよね?!」
破天荒で突拍子もないこの坊主頭の息子たちが、私は大好きだ。
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