【あとのことは、明日の自分が何とかする】
起きてすぐにシャッターを開ける。これができる日とできない日があって、今日はできた日だった。窓を開けて換気をしつつ、近頃お気に入りの白檀のお香を焚く。お線香のような、地味だけど馴染みのある香り。深く、大きく息を吸い込む。お日さまが照らす空は、澄んだ水色。鳥たちの泣き声が遠くから聞こえる。風はすっかり秋の匂いで、半袖の寝間着では少し肌寒い。
週末に台風が来るらしい。下がり続ける気圧に頭を抱えていた数日から一転、今日は久しぶりに身体が軽かった。頭痛も吐き気も倦怠感もない。午前中から昼過ぎにかけて、Workshipマガジン主催のもくもく会にはじめて参加した。その際、変顔で笑わせてくる友人を見ていたら、沈みがちだったメンタルまでもがあっという間に浮上した。「笑うのは健康に良い」とよく聞くけど、あれは本当だなあと思う。笑ったり、誰かと他愛のない話をしたり、そういう何でもない時間が心を軽くしてくれる。
心のアップダウンが大きい時期が続いていたけれど、ようやく山場を越えたようだ。どんなに深い悲しみも、いつかはちゃんと薄れてくれる。人間って、すごいなあ。逞しい生き物だよなあ。そんなふうに思いながら、落ち着いた気持ちで文章を書き続けた。朝の9時から夜19時まで、およそ10時間。休憩を抜いて8時間半くらい。インタビュー記事1本と、2本目のインタビュー記事の文字起こしと構成チェック。その他フィードバックが返ってきた原稿チェックに、有料マガジンのエッセイ1本。かけた時間に対して作業量が多いと感じるか、少ないと感じるかは人によるんだろう。
上を見てもキリがなく、下を見てもキリがない。私はつい上ばかりを見てしまい、自分に足りないことを一生懸命探しては凹んでいる。我ながらバカだと思う。でも最近、ようやく自分のがんばりを少しずつ認められるようになってきた。
自分が自分を褒めないで、誰が褒めてくれるの?
がんばったんなら、いいじゃん。
「今日もがんばったね、自分」って、労ってあげたらいいじゃん。
そう思えるようになったのは、友人の言葉がきっかけだった。苦しいことが重なって話を聞いてもらっていたら、思った以上に長電話になってしまった夜のこと。
「ごめんなさい、こんなに長くなっちゃって。お仕事、大丈夫ですか?」
「大丈夫です。あとのことは、明日の自分が何とかするんで。今日の自分がやれるとこまではがんばったし、はるさんが笑顔になってくれたから、それでオッケーです!」
この言葉をもらったとき、嬉しくて、ホッとして、笑顔のままで少しだけ泣いた。「ありがとう」と伝えると、「ラーメン奢ってもらうんで大丈夫です!」と友人らしい返事がきて、また笑った。
友人には、ラーメンのトッピングを何種類でもつけてもらおう。食後のデザートに、パフェとケーキとメロンソーダも食べよう。パンパンのお腹を抱えて笑い転げる友人を見ながら、私もきっと負けないくらい大口を開けて笑うだろう。
生まれたときからいろんなことがあったけど、私はどこまでも人の言葉に支えられていて、だからこうして毎日飽きることなく文章を書いているんだと思う。書きたいと思えるもの、伝えたいと思える言葉、そういうものに数多く触れられる今の環境を、心からありがたいと感じている。
毎日を張りつめて過ごすのは、やっぱり疲れてしまう。だからたまには、こうして肩の力を抜いて、思うままにゆるい文章も書いていきたい。素直に指先からあふれる文章は、書けば書くほど心が元気になるから。
“今日の自分がやれるとこまではがんばったし、あとは明日の自分が何とかする”
がんばってもがんばっても不安が拭えないとき、この言葉をお守りにしている。
お疲れさま、今日の自分。あとは任せたよ、明日の自分。
みんなみんな、お疲れさま。
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