【お母さん12年生、夜更けの反省文】
女性ホルモンに理性が負けた一日だった。
本日の私は自己嫌悪の塊である。この時間になり後悔が山のように押し寄せてきてしまったため、懺悔の意味でこのnoteを書いている。懺悔と言いながらしっかり酎ハイを飲んでいるけれど。しかも500㎖のロング缶。
絶賛PMS期にも関わらず、この数日相当な負荷がかかっていた。子どものあれこれが忙しく休む間もない連休を過ごし、挙句に今日もちびは幼稚園をお休みした。家のなかにいたらおそらく爆発してしまうだろうと容易に想像がつくメンタルの状態だったので、思いきってお出かけをした。基本的に外にいたほうが理性が働く。母親たるもの常に理性を保つべし、と頭では理解しているものの、そうできたら育児ノイローゼなんて単語はそもそも存在していない。
ちびの要望にお応えして、映画を観に行った。クレヨンしんちゃんの映画を二人でじっくり観た。泣いた。めっちゃ泣いた。しんちゃんの映画はいつも泣かせてくる。子どもの自由な心の素晴らしさに感銘を受けた私は、”やっぱり子どもは自由にのびのびが一番だよなぁ”などと感じ入っていた。ちびのワガママも長男の反抗期も、もっと広い心で受け止めよう。あるがままを楽しもう。そう決意を新たにした。
映画のあとは、ちびの要望第二弾のゲーセンに行った。ドラゴンボールのカードゲームが大好きなちびは、とっておきのカードをしっかりとマイ財布に入れて持ち歩いている。特別に2回ゲームで遊び、ご満悦の様子。大好きな映画を観て、ゲームも楽しんで、ほくほくのちび。
ここで帰っていればよかった。ただでさえPMS期で堪忍袋の緒が普段の10倍短くなっている時期だとわかっていたのに、何故私は欲を出してしまったのか。
「ねぇ、ちびとお母さんの冬服、ちょっとだけ見に行こうよ」
「いいよ」
返事はよかった。それについ期待してしまった。
デパート内を少し歩いてGUへ移動する。到着して店先の手指の消毒をするところで、まず躓いた。
「はい、消毒してね」
ちび、動かない。
「ねぇ、消毒しないとお店入れないよ?」
ちび、座り込む。
「消毒してください」
段々私の声が低くなってくる。そうこうしている内に、後ろに他のお客さんが並び始めた。母、焦る。
「ねぇ、後ろの人待ってるから消毒して。邪魔になっちゃうから!」
声がどんどん大きくなる。
仕方なく重い腰を上げるちび。消毒して後ろの人に謝り、ホッとしたのも束の間、店の通路にちびが座り込んだ。
「つかれちゃった」
ぷつん、と私のなかの糸が切れた。さっきまであんなに元気にゲームしていたのに。お魚の水槽の前では、うるさいほどにはしゃいでいたのに。
わかっている。興味がないジャンルのお店に行くと、ちびがこうなるのはいつものことだ。何なら長男は猛ダッシュでいなくなるタイプだったから、座り込んでくれるならまだ親としては楽なほうである。でも何せ、今日の私はいつもの10倍堪忍袋の緒が短い。
「もういいや。帰ろう」
能面のような顔でそう言った母のただならぬ気配を察したちびは、慌てたように「いいよ、見ていいよ」と言い出した。そこで「ありがとう」と言えばよかったものを、私も意地になって「いい、帰る」と言い放った。
子どもか。
何故5歳の子どもと張り合っているんだ、私は。
すたすたと歩く私。慌ててついてくるちび。手のひらは握っていたけれど、ちびの顔を見ることなく黙々と駐車場まで歩き続ける。
途中、ちびが大好きな遊び場コーナーがあった。きらきら光る木馬に、ふわふわ浮かぶ風船。そこで反射的にちびの足が止まった。
「あ、あそびば!あそびたい!」
思わず漏れ出た心の声を聞いて、私の糸が追加でもう3本ほど切れた。
「疲れて歩けないのに、遊べないでしょ?」
”しまった”という表情のちびを見て、一気に自己嫌悪が押し寄せてきた。こんな顔をさせたかったわけじゃない。喜ぶ顔が見たかっただけなのに。
冬物の服なんて、何ならいつでもよかった。通販でもよかった。家の息子たちはそういう買い物を一緒に楽しめるタイプではないと、とうの昔に悟っていたはずなのに。
好きな映画を観て、好きなカードゲームをした。そうやって満たされたあとなら、こちらの要望も通るのではないかと期待してしまった。
思わず求めた見返りが叶わなかっただけで、何をこんなにキレているんだ、私は。
しんちゃんの映画を観ながら抱いた感想は何処にいった、自分。
生理周期に振り回されるのは毎月のことだけど、今日は特に酷かった。溜まっていた疲れがそれを助長したのは言うまでもなく、しかしそれは単に私の側の都合に過ぎない。
せっかくのお出かけを「怒られた記憶」にしてしまった。「楽しい思い出」にしたかったのに。
何だかもう、こうして書きながら涙が出てくる。上手くできない自分への苛立ち。お買い物を一緒に楽しめる親子への嫉妬。ちびへの申し訳なさ。色々なものがぐるぐると渦を巻いて、内臓の奥で熱を持っている。
「ごめんなさい」
車に乗り込んだ瞬間、ちびが言った。謝るほどのことはされていない。それなのに、私がこれを言わせた。大人の圧力をかけて、子どもの口を塞いだ。
二人の息子を育てていくなかで、こういう失敗を数えきれないほどしてきた。そのたびに自己嫌悪になり、めちゃくちゃ後悔した。それなのにどうして、同じことを繰り返してしまうのだろう。
ちゃんと話せばよかった。「お母さん、どうしても今日は服が見たいから、ちょっとだけ付き合って」って。それでも無理なら、潔く諦めて通販にしようと切り替えればよかった。たったそれだけで解決する話なのに、どうしてあんなふうに急ぎ足で歩かせるような手の引き方をしてしまったのだろう。
「お母さんも、ごめんね」
そう呟いたら、いつだってちびは「うん」と言ってくれる。それに甘えてしまうから、何度も繰り返してしまうのかな。だとしたら、それはとても傲慢な考えだ。
完璧でなんかいられない。親も生身の人間で、いつだって心身共にフラットなわけでもない。でも、こうなるたびにお互い悲しい思いをするなら、その回数は1回でも少ないほうがいいなぁと思う。
ごめんね、ちび。
ちびのスピードを無視して歩いてごめん。
ちびのほんのちょっとの駄々を受け入れてあげなくてごめん。
大したことじゃないのに、「ごめん」なんて言わせてごめん。
一定でいられなくてごめん。
眠る前、ぎゅっと抱きついてくれる君は、呆気ないほどいつも通りで。それに救われるけれど、同時に思うんだ。
子どもは親を許す天才だから、親はそれに甘え過ぎたらだめだよな、って。
ちゃんとしなきゃと思い過ぎる必要はきっとなくて、でもそれは、「開き直る」というのとは少し違う気がする。
親も人間。そして、子どもだって人間だ。まして、まだ生まれて数年足らず。成長過程にある彼らの自制心が、39歳の私のそれと同等なわけがない。まして、この年の私でさえこんなもんだ。
「信じる」のと「過度な期待をする」のは、似て非なるものだ。
ホルモンバランスが乱れるPMS期に、必ずしもゆっくりできるわけではない。休める環境にあればいいが、そういうときに限ってあれこれが重なってしまう場合も往々にしてある。ただ、それを理由にすればすべてが許されるわけではない。
こういう気分で飲むお酒は、何だかいつもより少し苦い。そして、思ったほどには酔えない。
長男の経験も含め、お母さん12年生。
まだまだ未熟者。
みんな、どうやって女性ホルモンと育児と睡眠不足のバランスを取っているのだろう。
失敗をこうしてしたためたら、少しは自制に繋がるかな。
そんな淡い期待を込めて、この情けない反省文をそっと此処に置いておく。