#46 「人のため」をやりすぎると人が嫌いになる
6月20日、時刻は16時22分。こんにちは、はるです。
男性と女性は同じ人間で、言葉も通じるけれど、基本的には違う生き物と時々確認するようにしている。
男性の何かを成し遂げたいという渇望や承認欲求、誰かのために自分を犠牲にするという献身性を、女性が「そうだよね」と共感してやると何かが違ってくる気がする。
もちろん男性がみんなそうではなく、女性もそうということではなく、あくまで「傾向」や私の肌感覚なので、違うな〜という意見もアリだと思います。
だけど最近、こんなことがありました。
私が進めているプロジェクトに共感してくれた方が「手伝うよ〜」と行ってくれて、取り組みに日時に予定を空けてくれて、必要な道具も買って、準備を整えてくれました。
しかし、それは天気に左右されるプロジェクトで、予定していた日は雨。翌日も予備日にしていましたが雨。順延です。
翌週まで待つとプロジェクトが大幅に遅れてしまうので、プロジェクトの山場は私一人で手掛けてなんとかクリア。もともと一人でもできるように設計しているプロジェクトなので、想定内です。
プロジェクトの山場は乗り越えたとはいえ、プロジェクトは続きます。
「次の週末に続きをやるかもしれませんが、まあ地味な作業なので興味があったら」と伝えたところ「地味でも手伝う」と言ってくださって、ありがたい限りなのですが、山場を乗り切った疲労感がなかなか取れず、週末の天気は土曜日(今日)の方がいいのだけれど、私の体が完全に回復していません。
無理してでも行くべきか、天気が心配だけど日曜日にすべきか。
手伝うと言ってくれる人を振り回しているようで申し訳なく、土曜日に行こうかとも考えました。土曜日にプロジェクトを動かすと、似たようなプロジェクトを進めている人との交流できるチャンスがあり、情報交換もできるという「おまけ」もあったので、少し無理してでもやろうかなという気持ちに。
そして挑戦し続けている男性ブロガーさんの記事をいろいろ読むと、人のために全力を尽くしている人が多い。そして尽くすことで自分の「ファン」を作ることに成功しているとも綴っています。
でも、無理して私が心から笑えるかな、誰かを幸せにできるかな?
「誰かのため」をやりすぎると「こんなにやってるのに〜〜」が増幅して、勝手に無理しているのに、助けてくれる人さえも恨んじゃう可能性が出て来ます。
私は重たい体を引きずってプロジェクトを進め、せっかく来てくれた人に対して心から「来てくれたありがとう」と言えるだろうか。別に週末に固執する必要性は何もなく、平日にやってもいいことで、週末に進めるのは「手伝うよ」と言ってくれた人が週末しか動けないから。
「次の週末に〜」と私が言ったことが、私を縛ることになり、行くのか行かないのかを、その人に伝えないといけない煩わしさに、すでにイラッともしていました。
繰り返しますが、一人でもできる設計にしているプロジェクト。ヘルプが入るのはとてもとてもありがたいけれど、ヘルプをアテにはしていないのです。
なのに、ヘルプのために〜と無理して、ヘルプにイラついてたら、そんな奴を誰がこの先ヘルプするの?って話です(苦笑)。
プロジェクトは楽しく進めたい! 一人でも複数でも、関わる人が関わって良かったと思えるものにしたい。
その軸からブレブレやん! ということで、明日日曜日に進めることに。
体の疲れも回復して、部屋の片付けもできて、やろうと思っていたことのいくつかが片付く。
そして、夏のスパイスとして見つけたら買っていたナンプラーを、家の近所のお店でGet!
今日は一粒万倍日+天赦日✨
「誰かのため」に軸足を置かずに「自分がどうありたいか」を基準に選んだ土曜日が、おだやかに心地よく流れています。体もほぼ回復。明日は元気に動けそうです😊
明日は明日の風が吹く、ということで。
今回は長くなっちゃいましたが、最後までお読みいただき、ありがとうございました。