適応障害7
今回の体調不良は人生で3回目になっておりまして、2回目のことを少し書きたいなと思います。一回目は新卒の時、2回目は二三年前の事になります
当時、私は少し長くいた部署を異動となり全く未経験の業務しかない部署に配属となりました。今まで囲碁将棋部だったけどバスケ部に言った感じでした。なんとなくそれくらい私にとっては別物な所への異動でした。
1からの、業務なので期間限定ですがみっちり一緒についてくれる人もいて、スタートは分からないことだらけでしたが、そこそこ良好に滑り出していたかと思います。そのみっちり着いてくれていた人が動いてからがきつさ、厳しさの始まりで。
私が元々いた部署と新しく異動した部署はイマイチ分かっていなかったのですが敵対視している人が多く、私が異動してくるなら仕事ができません!!って言っていた人もいたみたいです、あとから聞いた話ですが。私自身、そんなに権限のある立場ではないので何を持ってそんなことを言っているのか、何言ってるんだろう?くらいの感覚でした。
そんな状況だったので私が「この作業をお願いします」と担当の人に振った際に「それはやりません、できません」というようなことを平気で言われました。私よりも職歴のだいぶとある方が口を揃えて言いました。本当にビックリしました、ここまであからさまな事がおとなになってからもできるのかと。
本来はそこでもう1回、誠心誠意お願いをしないといけなかったのかなと思いますが、私もプライドが高かったのか、その方の勢いが怖かったのか、その時は「はぁ、そうですか」と引いてしまいました。
ただ、引いたところで仕事は進まないので、周りのまだ話を聞いてくれる人、もともとその部署にいた人など、もはや関係ない人にきいてまわってその仕事は完遂しました。他でも似たようなことがあるたびに困った人たちにはお願いせず、他の人の協力を得ることでもはや無理やり仕事を進めていました。
仕事自体は問題なかったのですが、この当たりのことが心労になっていたようで、結果、会社を1ヶ月休むことになりました。ただ、確かに心労はあったのですが、何よりも「私はもっと出来る!!」っていう気持ちと現実の改善を進められない所属部署の環境を比べ、そのギャップが1番つらかったです。
この時に休んだタイミングで私は私に出来るだけのことを一生懸命やろう!!と誓いました。そこからはやる事も明確になり気持ちもはれ、また仕事が出来るようになりました。
今回のことも本当は「自分に出来ることを一生懸命やる!」ってだけなんですが。なのに同じようなことで少し崩れかけています。