北島の温帯雨林を巡る その④ 〜霧に抱かれた巨木の聖域〜
Rainforest Route
ロトルアからフイアラウ山脈へと向かう国道の愛称は、「Rainforest Route」。ニュージーランド国内では珍しい、森をテーマにした観光案内。北島で一番森が深い土地に足を踏み入れるんだ、という高揚感が沸き上がってきます。
っがしかし。その名前に反して、Rainforest Routeの最初の数十kmは、広大な人工林を突っ切る直線路。どこまでも続くラジアータパインのプランテーションの中を、延々走り続けます。静岡県の新東名のような、退屈極まりない景色です。
この人工林は、カインガロア・フォレスト(Kaingaroa Forest)と呼ばれており、その総面積は神奈川県よりも広い2900㎢。ニュージーランドでは最大、南半球全体でみても2番目に大きい人工林で、約2000万本のラジアータパイン・ダグラスモミが植栽されています。1930年代の世界恐慌時代、雇用を創出するための公共事業として造成された当時世界一の林業プランテーションが、現在も稼働しているのです。
外来樹種の人工林は、毎年66億ドルの木材輸出高を生み出す、現代ニュージーランドの経済基盤。カインガロアで伐り出された木材のほとんどは、中国とインド、韓国に輸出されます。国道を走っている間も、大量の木材を積載した大型トラックと何回もすれ違いました。
原生林から巨木を伐り出し、ヨーロッパに輸出していた19世紀ごろと、システマティックに管理された人工林から若い松を伐り出し、アジアの新興国に輸出する2020年代。時代とともに林業の形態は大きく変わりましたが、この国は今も昔も、海の向こう側に木材という天然資源を供給し続けているのです。いわば”世界の木材倉庫”。人工林を突っ切ってフアラウ山脈の巨木の森へと入り込んでいくRainforest Routeは、そんな歴史を過去に向かって辿る、一種のタイムトラベルルートなのかな、と思います。
カインガロア・フォレストを抜けた国道は、程なくしてフイアラウ山脈の谷筋に入り込み、急カーブ・急勾配を繰り返すようになります。完全に山道の雰囲気。周囲の景観も、ラジアータパインの人工林から、木生シダやマヌカ(フトモモ科の小高木)が生い茂った天然林に変わりました。さすがにここまで奥地にくると、外来植物の数は減ります。
それにしても、ニュージーランドの深山って、人間の気配が全く無い。2年前、四国山地の奥地に魚梁瀬杉の森を見に行ったときも、あまりの山深さに戦々恐々とした記憶がりますが、あそこはまだ人間の生活感がありました。山奥の林道にも電柱が通っていたり、時々小さいながらも集落に差し掛かったり。
ニュージーランドの山岳地帯では、そういった微かな人工物の気配すらも感じられないのです。緑濃い常緑樹林の中に、ガタついた舗装の二車線道路が敷かれているだけ。本当に人口密度が低い国なんだなあ…。
でも、原生的な森というのは辺鄙な土地でひっそりと息づいているもの。いよいよ期待が高まってきたぞ。
極端に湿った別世界
国道から外れ、未舗装の道を数キロほど進むと、ほどなくして保護区の入り口に到着。駐車場脇の森が目に入った瞬間、びっくり仰天してしまいました。
なんかめっちゃ樹がデカイ。樹高40mは優に超えてそうです。これが噂の「超高木」か…。
地表付近の木性シダから、超高木の樹冠まで、密度の濃い枝葉の階層が、幾重にも渡って積み上げられています。複雑で、スケールが大きい階層構造。日本には存在しない植生タイプであることは、一目瞭然です。
ここまで巨大な植生が出来上がるには、1000年近い時間がかかります。それほどの長い間、この森は一切の撹乱を受けなかったのです。
今自分が見ているのは、間違いなくニュージーランドの極相林。800年前、北島に初上陸したマオリが見ていた景色です。
憧れの「巨大温帯林」を、ついに見つけたぞ。
森の中に入ってみると、視界一面瑞々しい深緑色で覆われた、なんとも幻想的な世界が広がっていました。
晴天の日だったのにも関わらず、林内は仄暗く、多雨林特有のジメジメした空気がからだに纏わりついてきます。先ほど駐車場から断面を観察して分かったように、この森の天井は多層構造。地上50mまで積み上がった分厚い枝葉の層は、外からの日照や風を完璧に遮断してしてしまいます。その結果林内は、気温と湿度が一定に保たれた独特な気候を帯びることになる。
莫大な量の葉が蓄えられた巨大な植生は、その内部に外界から隔絶された”別世界”を創り上げてしまうのです。
この森の林冠は、毎朝のように濃い霧に包まれます。僕が今いる場所は、フイアラウ山脈の奥深くの谷底。1日の寒暖差が非常に大きいのです。
早朝、濃霧に抱かれてしっとりと潤んだ林冠の枝葉は、その雫を長時間にわたって溜め込みます。日が照って霧が消えると、林冠に溜まった水滴が、数十メートル下の地表まで落ちてくる。その際、高木層から地表のシダ・コケまで、森を構成するすべての植物が濡らされてゆきます。
風が吹くと、森の天井から大量の水滴が降ってきます。林冠の向こう側は晴天なのに、森の中では、突発的なスコールが幾度となく繰り返される。この巨大な森は、天候さえも自由に操ってしまうのか…。
複雑に交錯した樹木の枝葉が、早朝にだけ発生する霧の水気を絡めとり、時間差をつけて森の内部に供給する。この営みによって、霧が消えた後も林内の湿度が高く保たれ、植生が持続してゆくのです。
地上50mの高さまで展開される巨大な階層構造は、樹木のからだが集積して出来上がった「水の貯蔵庫」。林床に広がるコケ・シダの楽園は、森そのものが作り出す多湿な気候によって維持されているのです。
マキ科針葉樹の巨木たち
Whirinaki Forest Parkの森の主役は、やはり超高木層を構成するマキ科針葉樹(Podocarps)の巨木たちでしょう。
まず最初に目が惹きつけられたのは、ニュージーランドで最も高く成長する樹、カヒカティア(Kahikatia,Dacrycarpus dacrydioides)。沢沿いの湿った土地を好む樹で、最大樹高は60mに達します。コケマットを纏った幹が、天に向かって一直線に伸びてゆく姿。格好良すぎるぜ…まじでタイプなんですけど。
カヒカティアの大木は、かつてのニュージーランドの渓畔林ではありふれた存在だったのですが、19世紀末に乳製品の輸出が始まると、木箱の材料として乱伐されるようになりました。今日、カヒカティアの巨木の群生が見られる森は、極めて貴重なのです。
沢から離れると、トタラ(Totara,Podocarpus totara)の大木が。ニュージーランドで最も良質な材を産出する樹のひとつで、戦いの神トゥマタウエンガ(Tumatauenga)の化身としてマオリに神聖視されていました。これは、マオリがこの樹の材を使って戦闘用カヌー(Weka)を建造していたことに由来します。
記録によると、トタラの大木1本から、最大で100人乗りのカヌーが造れるんだとか。今では、ヒョロヒョロとしたラジアータパインで覆われているニュージーランドの山野も、開拓時代以前はこんな巨木で覆われていたんだろうなあ…。
森の奥へ進んでいくと、いきなり頭上の枝葉が消え、あたりが明るくなりました。久しぶりに空が見えます。ギャップ(大木が倒れて、一時的に林冠が無くなった場所)に入り込んだのです。
この森の超高木層を構成する巨木たちは、あまりにも巨大すぎるがゆえに、林内を散策しているだけではその足元を眺めることしかできません。樹冠部分は、高木層の枝葉によって覆い隠されているため、下からだと全く見えないのです。
しかし、森の吹き抜けであるギャップに立てば、超高木の”全身”を観察することができます。今回僕の前に姿を現したのは、リム(Rimu,Dacrydium cupressinum)の巨木。恰幅の良い枝を、天高い場所で四方八方に伸ばす姿が、なんとも勇ましい…。
ニュージーランドのマキ科針葉樹は、地球上に現存する樹木の中では最も起源が古い部類に入ります。彼らの祖先は、ゴンドワナ大陸(6000万年前まで存在した超大陸)に生育していた熱帯性針葉樹。日本で馴染みが深いモミ、マツ、トウヒ(氷河期の北極圏で出現した)とは、起源が全く違います。
それゆえ、南半球の針葉樹は、北半球の針葉樹とは相反する特徴をいくつも持ち合わせているのです。
北半球では、「針葉樹」と聞くと寒冷地に分布するクリスマスツリー型の樹を思い浮かべてしまいますが、マキ科に属する針葉樹の多くは、熱帯〜暖温帯にかけての温暖な気候を好み、横広がりの樹形に育ちます。
Whirinaki Forest Parkの巨木が、日本の針葉樹とは全く違う趣を漂わせているのも、こういった進化史の違いが原因でしょう。
次々に現れる未知の樹木に、興奮しっぱなしの森歩きでした。
その⑤へ続く
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