エッセイ(2)【推す】
7/24 水曜日
今日は私の『推し』の熱愛報道が出た。推しは内容について否定も肯定もしていないし、やんわりと認めているように思えた。
推しの熱愛報道を見て、私の感想は「ふうん、よかったな、彼の側に居てくれる人がいて」だ。
彼はよく、太陽のような人と例えられている。たしかに彼は太陽のような温かさと包容力があり、私はその人間性に惹かれ彼を推し始めた。彼がいなかったらきっと、鬱になった私の命は3年前に終了しているだろう。
彼を推して暫く、気づいたことがある。
太陽は昇り、皆を照らし、沈むのだ。
太陽が沈むと夜になる。太陽の彼は月の側面ももっていた。
その月のような静けさ、やわらかに薫るひかりに、私はまた惹かれたのだ。
だがその一方で、大勢のファンのうちの一人でしかない私に、烏滸がましくも違う感情が芽生えてしまうことがあった。
太陽が沈み青白い月が夜闇を見ている時、メンバーにも言えないことで彼が悩んでいるところを想像してしまったのだ。
彼が一人で暗闇に蹲り、苦しみ悲しむ姿を勝手に想像しては悲しくなった。彼に命を救われたというのに、彼が辛いときを知らず自分が何もできないことをもどかしく思った。
こんな複雑な感情をもってしても、私は彼という人間を推した。私は彼を愛しているようだ。そして紛れもなく彼は推しなのだ。
そしてあの熱愛報道を見た。
よかったと思ったのは本心だ。
彼らが笑って幸せにいてくれれば、ファンとして、彼を推している身として、それ以上に幸せなことは無いのだ。
報道に対する世間のリアクションをSNSで確認する。噂には聞いていたが、なるほど。人の感情って難しいなと改めて思った。
好きでいる、「推す」を続ける。こんなに難しいのか。
感情が今ひとつよく分かっていないので、そういうときは感情の動き方を理論や論理で自分なりに考える。それでも思うことはいつも同じで、感情は論理でほどけない結び目みたいだった。
私に道徳的な前頭葉を分けてください。