
空を見上げる(2024年冬: 心の余白)
久しぶりの感覚だった
布団から中々出られなかったのは寒さのせいだけではない
厚い雲に覆われたような気分で目が覚めた
理由は明らかで、前の日の出来事に心が支配されてしまっていた
どんよりしながらも、その久しぶりの感覚に前よりも随分と幸せに生きられるようになっていたことに気づく
その前の日の出来事
その日は夜明け前に目が覚めて、前の晩に珈琲を飲んでしまったからか、二度寝を試みるも寝付けず、潔く起きることにした
早朝のしんとした静けさに頭が冴え渡り、宿題にしていた春音のメニューのアイデアが次々と浮かぶ
「早起きは三文の徳」その言葉を体現するかのように必死にノートに書き留める
ひとしきりそれが終わって、朝の家事にとりかかる
時間があるとつい自分のキャパ以上にやることを詰め込み過ぎて、結局いつも時間ギリギリになってバタバタする
一体何度繰り返せば学習するのだろうか
よくよく考えてみれば、今日絶対やらなければならないことなんて大抵ないのだ
いつも自分で自分のことを追い込んでしまう
試しにその朝はやることを一つ減らしてみた
するとなんと心にゆとりができることだろう
自分の中では中々の大きな発見だった
朝ご飯をゆっくり味わい、予定通りの時間に家を出る
雲一つない青空、たわわに実った柑橘の木、
いつもは気づかない素敵な風景に出会う
私が使うローカル線は一日に数本だけ招き猫のラッピング電車が走る
私の到着を待っていたかのように、招き猫がタイミングよく滑り込んでくる
いい朝だなぁとなんだか嬉しくなりながら修行先の喫茶店に向かう
エプロンの紐をキュッと締め、同僚と笑顔で挨拶を交わし、お客様を最高の状態でお迎えする
週末だったその日は息つく暇もないほどで、でもその忙しさが逆に私には心地良かった
全てが順調な一日
そう思っていた、そうその時までは確かに
雲行きが一変したのは午後とあるお客様が来店してから
60代と思われるイケオジ風のその人が若い男性を引き連れて現れた時、店内はほぼ満席の状態だった
いらっしゃいませの言葉に続き「ただ今店内が混み合っておりまして、ご案内できるのがこちらの小さいお席になってしまいますがよろしいでしょうか?」と伝えた瞬間、その男性は「なんだお前?」と私を睨みつけた
予期せぬ言葉を浴びせられ、びっくりしたのと同時に店長がキッチンから慌てて飛び出してきた
どうやら時々来店する常連のお客様だったらしい
初対面の私は知る由もなかった
そんな言葉をかけられたものの、いつもと変わらず誠心誠意おもてなしをするべくメニューを持って行こうとしたら店長に止められた
気難しいお客様なのか、今思えば店長もナーバスになっていたのかもしれない
いつもとは人が違ったような感情むき出しの言葉の槍が次々と降ってきた
そのお客様には一切関わらないよう強く制止された
ホテルで長い間仕事をしていた私は大声で怒鳴ったり、罵声を浴びせるゲストには慣れていた
だからその男性客に対しても不意打ちで驚きはしたものの、特に動揺することもなく平静に対応できる自信があった
店長の言い方が嫌だった以上に私のプライドが傷ついたのかもしれない
その後はずっと心がザワザワ、モヤモヤして、店長と目も合わせられず、どんよりした気持ちを引きずりながら家路についた
ふと夜空を見上げると、そんな私を慰めるようにきれいなまん丸のお月さまが浮かんでいた
そういえばもうすぐ満月だった
ハッと我に返り、朝とは完全に別人ですっかり心に余裕がなくなっていた自分に気がついた
人間の脳には意識したことが拡大していく機能があるという
笑顔で明るく過ごしていれば現実はどんどん良い方向に向かっていく
日々の一つ一つの小さな選択をする時、無意識で良い方を選び取っていくからだ
逆も然りで、モヤモヤした気持ちを持ち続けて損をするのは自分だけなのだ
世に言う引き寄せの法則というものは実に理に適っていると思う
実体験をもってそれを理解した今は、自分の気持ちを上手く切り替える方法を知り、切り替えのスピードも前より格段に早くなった
と、言い切れたら格好よかったのだが、人間は感情の生き物で、現実に問題が起こると頭では分かっていても心が中々ついていかない
結局のところ、今回はこのモヤモヤを翌日まで引きずってしまった
しょうがない、そんな時もある
そんな自分もありのまま認めよう
気持ちが落ち込んだ時、私は最大限に自分をもてなす(=甘やかす)ことにしている
以前の私は起きた出来事にとらわれて、そのことばかり考えて余計に気持ちがずーんと沈んでいた
心を回復させる方法を知った今は、随分と楽に生きられるようになった気がする
回復までにまだ少し時間がかかってしまうのは伸び代があるということ
大人になっても日々成長だ
家に帰って部屋を暖めて、癒しの音楽をかけて、ハーブティーとご褒美のおやつを頬張る
ゆるゆると凝り固まった気持ちがほぐれていく
「部屋が暗くなったら電気をつけるように、心が暗くなったら明かりを灯す」
いい言葉だなぁ…
素敵な言葉に出会った時に書き留めているメモをふと見返して、しみじみとそう思った