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古い土を掘り起こす(~2022年回想: 経験と気づき 2 - 私の力)

私は子どもの頃からおそらく人があまり経験しないようなことを経験してきた
良い経験ではなく真逆の方の

三つ子の魂百までという言葉の通り、場の空気や人の感情を読みすぎるまでに読んでしまう私の性格はそれらの経験がベースにあるのだと思う
その性格が故に、2年ほど前までの私はある種の生きづらさを抱えていたように今振り返ると思う

私は完全なる自己犠牲型の人間だった
判断の基準が自分ではなく常に相手にあった
相手がどう思うか、相手がそれで嫌な気持ちにならないか、それが私の判断における全ての基準だった
例えば友達と居酒屋さんに行った時、自分の食べたい物が一つも言えないくらい
自分がこれを食べたいという感情よりも、相手がそれを食べたくなかったら嫌だなという感情の方が優っていた

三十代も半ばになる頃には私は、自分の「〜したい」という感情が麻痺してしまっていた
私はそれを「自分は何に対しても興味が湧かない、何てつまらない人間なんだ」と錯覚していて、好奇心旺盛な人が心底羨ましかった

人の感情を自分の感情以上に読み取ってしまう私は、昔から人に相談されることも多かった
相談されるのは嫌ではなかったし、むしろそれで少しでも気持ちが楽になるならという想いで話を聞いていた
だが、人の悩みを熱心に聞きすぎるがあまり、時々苦しくなってしまう自分がいた

そんな私に起こった2年前の大変化

きっかけは友人達からの悩み相談が立て続いた時
休みの日の朝、出かける支度をしている最中に連絡が入り、彼女の危機的な気配を察知した私は、出かける時間が迫っていたが少しならと電話で話をすることにした
私はすでに別の友人からその前の数ヶ月間、電話で週に2、3回のペースで出口の見えない悩み相談のような話を聞いていた
自分の心が疲れていることに気づかないまま、その朝彼女との電話を終えた後、ツーっと涙が頬をつたった
一旦出始めた涙は止まることを知らず、気づけば蛇口をひねったように号泣していた
案の定その日約束していた友人との待ち合わせにも遅れ、私は何をやっているのだろう...と自分が情けなくもなった

これも子どもの頃の経験が影響していると思うが、私には「嫌なことこそ頑張って乗り越えなければ」というど根性魂が備わっていた
それでも過去に、3人の大切な人を自分の力ではどうしようもなく救えずに限界がきて手放してしまった経験があった
その後悔とは少し違う無力感のような想いがずっと心の片隅にあって、友人達からの悩み相談が続いた時も、始めは「これは神様から与えられた試練なのだ」と思っていた
「あの時超えられなかった壁を頑張って乗り越えなさいと言われているのだ」と

その頃たまたま目にしたYouTubeで「自分軸で生きる」ということを知った
その時初めて私は自分がこれまで真逆の考え方で生きてきたことに気づいた
このデジャブのように起こる現象は「もっと頑張りなさい」と言われているのではなく「もっと自分を大事にしなさい」と言われているのだと

天地がひっくり返るほどの衝撃的な気づきだった

それから私は少しずつ他人軸から自分軸にシフトする練習をした
私をよく知る幼馴染みに「東京で三番目くらいには不幸だ」と冗談混じりに言われたことがある
人が見たら不幸だと思うかもしれない人生を、私自身は特に不幸だと思ったことはなかったが、今思えばなんとなくグレーな世界をずっと生きていた気がする
自分軸で生きられるようになってから、そんな世界がカラフルに色づき始めた
何にも興味がないと思い込んでいた自分に次から次へと好奇心が湧いてきた
「人生って楽しい」初めて心からそう思えるようになった

最近になってようやく、私自身が人を依存させてしまっていたことにも気づいた
人を救いたいなんておこがましい話で
人の助けにはなれるかもしれないが
結局人は自分でしか自分のことを救えない
自分の足で立って、その上で支え合える人間関係こそが、誰もが幸せになれる世界なのではないかと思う

一緒にいるとホッとする、癒される、話していると元気になれる、とよく言ってもらえる言葉は素直に嬉しい
だから私はこれからもありのままの自分でいたい
ありのままの私が創った空間に訪れた人が、心から安心して癒されて、ほんの少しでも幸せを感じてくれたら、それが私の喜びだ
幸せな循環がそこから始まると信じている

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