発達障害児の育児と仕事の両立ー4(子が小学生になったら崖っぷち)
↑前記事からの続きです。
家庭教師やら民間学童やら対策をとって仕事を続けてきたものの、その後結局退職することになった。
まず、衝動性の高い娘の行動が心配で、とてもとても仕事に集中できる状況ではなくなったから。
娘の寄り道癖は治らず、買い食い癖も治らず、買い食いだけならまだいいのだけれど、やっぱり一番は「万引き」をしたことが大きかった。
この万引きに至る背景や発達障害との関係はまた別記事に書くとして、私は娘を信じることはできなくなり、一人行動させることはできなくなった。実際民間学童への道のりでGPS検索をすると寄り道をしていることがしょっちゅう。そうなると「お店に入ってない?またやってない?」と不安で怖くてとてもとても仕事どころではない。
何度も何度も血相を変えて娘を探し回ることになり、この状況では勤務先に迷惑をかけるのも必至。
また、定型発達児であっても小学校に入ると保護者会やらPTAやら個人面談で仕事を休まねばならないところ、うちの娘はさらに発達障害にまつわる通院やカウンセリングなどもあり、それらも当然平日に予定が入ってくるのでさらに休まなければならなかった。
さらにこの時期、私の父が病気に倒れて危険な状態となり、そちらからの呼び出しも来るように。
それでも男性社員やボスは比較的理解してくれていたように思う。
だが、お局さんに嫌われていった。私にだけ冷たい。
そしてある日。もうこれ以上は仕事を休むと言いづらいという状況の中で、娘が持病の鼻炎を悪化させた。耳鼻科に連れて行かなければ。でも仕事は山積みである。
東京の病院は混んでいる。診察までだいぶ待たされる。娘を一人耳鼻科の待合で待たせて、診察の時になったらその時間だけ中抜けして付き添った。診察が終わり、会社に戻って50代のお局さんに
「中抜けでご迷惑をおかけしました。」
と頭を下げたら見事に無視された。この瞬間、もう頑張れない、限界だ、と思った。私は退職を申し出た。
勉強のフォローも夏休みのお弁当も必要なくて、とにかく朝送って行けば夕方まで大人に見守られて過ごすことがきる保育園時代がどんなにありがたかったことか。
小学校入学後は、崖の上を歩いているような日々だった。ちょっとでも何かあったら落ちてしまいそうな不安定な日々。それでももっと仕事を覚えたくて、評価されたくて頑張ってきた。娘を習い事に送ったあと、仕事に戻って短時間でもやって仕上げて間に合わせたりしたし、朝は一番に出勤していた。
そして「すみませんすみません」とたくさん言っていた。
残業できなくてすみません。子供が熱を出してすみません。個人面談で休みますすみません。
子どもがいるのに働いてすみません。子どもが発達障がい児ですみません。
と言い出しそうな精神状態になっていった。
私はこの悔しさを夫にぶつけた。家事も育児も全部私に負わせて仕事だけやっていた夫に。
しかしどう言葉を尽くしても感情をぶつけても夫には伝わらなかった。分ちあえることもなく、気持ちに寄り添ってもらうこともなく、彼自身が生活を変えることも無かった。
仕事を辞めざるを得なかった挫折感もさることながら、夫と分かり合えないことにも打ちのめされた。(この頃から私は夫に対しても発達障害があるのでは?と疑うようになる。)
しかし働けない私には離婚の選択肢はない。
すっかり疲れ切った私は、締め切りのある仕事やオフィスワークはもうしたくないと思い、飲食店のパートならその時間だけ働けばいいからプレッシャーもないだろう、と週に3回ほど近所の飲食店で4時間程度のパートに出ることになった。
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