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発達障害児の育児と仕事の両立-2(子が小学生になったら崖っぷち)

日経新聞に某会社の女性社長さんの半生が載っていた。

”産前産後で計6週間休んで仕事復帰した”

おぉすごい!続けて読む。

”娘の世話や送り迎えは母が全面的に助けてくれました”

……やっぱりそのパターンか。ですよね。実家のサポートあってのキャリアですよね。無いと厳しいよね。頼れる実家は資産です。

夫の実家も私の実家もきょうだいの手助けもなかった我が家は、共働きは夫婦仲の悪化の原因の一つになった。読み進めてもらえばその過程がお分かり頂けると思う。

さて、小学校に入学した長女。電車での通学が始まり、誰も知り合いのいない小学校生活、さらに私が就労していたので放課後は学童保育へ。

私は早くしっかりさせようとした。もう小学生なんだからしっかりしようね、頑張ろうね。慣れない電車通学も学校も学童も「頑張りなさい。」

劇的な環境の変化に、今ならどれだけ子にストレスがかかっていたかわかる。なんであの時はそのことを考えてあげなかったのだろう。

子どもは順応力が高い、と思っていたからかというのもあるし、ほかの子と比べたというのもあるし(受験を経て入学しただけのことはあり優秀なお子様が多かった)、自分自身が適当に養育されたという経験から同じように養育してしまった。

子どもだってストレスが溜まること、少しずつ慣れていかなきゃいけなかったこと、長女は早生まれであり、さらに彼女ならではの特性があって普通以上のフォローが必要だったこと。そんな長女にとって私が安全基地にならないといけなかったのに、なぜあんなに無理させちゃったのだろうととても後悔している。

長女のストレスはすぐに問題行動となって表面化した。詳細は別記事に書くつもりだが、問題行動を起こし、児童精神科や児童相談所への通院が必要になった。そして学習面でも一年生の段階から娘は勉強についていけなくなった。つまり、メンタル面と学習面、両方のフォローが必要になった。

共働きするために学童保育に通っていたが、そこは外国人児童に対するいじめがあり、また管理体制も信頼できないところだった。娘が「今日は早く帰ることになっている」と申告すると、それを保護者に確認することなく一人で帰宅させてしまったこともあった。外国人児童に対するいじめは繊細な娘の心を不安定にした。

ここにはもう預けられない、と思い小1の夏休みの終わりに早々に退所。

それでも私は仕事を続けるためあがいた。辞めたくなかったし、当時ちょっといろいろあって経済的に安定しているとは言い難かった。私が働いていれば経済的な不安が消せる。無職になることの怖さがあった。

で、私は次のような対策を講じた。

続く。




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