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子どもが不登校になったとき思ったこと、やればよかったこと①

私は全然いい母親ではなかった。

長女が小6で不登校になったときに真っ先思ったことを正直に言うと、

「同じ学年の保護者からどう思われるだろう。なんと言われるだろう。」

です。本当にひどいよね。子どもの心じゃなくて世間体を気にしていた。こういうのを毒親っていうのだ。

登校渋りは小学校6年間ずっと

低学年からずっと登校渋りをしていた娘。

原因は、まず朝が弱い。なかなか起きられない。(その後起立性調節障害と診断)。そして電車通学の負担とそれを乗り越えていくほど学校が楽しい場所ではなかったこと。

なんとか起こし、なんとか身支度にとりかからせる。出発する時間が迫る。迫ってくるにつれて娘がイライラし始める。あと10分というところで娘の動きが止まる。泣き叫び始める。出発時間を過ぎる。時間が過ぎたことに対して「もう間に合わない」とパニックを起こし始める。

泣き叫び暴れる声は家の外まで響く。これが、ほぼ毎朝である。

私の出勤時間も迫る、下の子の登園準備もしなくては、夫もイライラしだした、あぁ下の子ほったらかしだかわいそうに…

私もパニックになる。私も泣き叫びたい。

そこから結局欠席する日もあったし、いったん落ち着くのを待って説得して遅刻して登校した娘を送って行った日もたくさん。それでも小5までは不登校と言うほどではなく、欠席日数は多めでもなんとか登校していた。

不登校の始まり

不登校になったのは小6。原因は二つ。一つは、起立性調節障害。そしてもう一つの原因は担任教師。うちの娘だけでなく他の子も荒れだして学級崩壊状態になった。

もうね、すっごく怒りが湧いた。いじめで不登校ならある意味納得して率先して休ませただろう。しかしこれだけ小学校生活に苦労してきて、最後学校の先生が原因で不登校になるなんて。なんだよ、と。学校って子どもを「育てる場所」でしょう?先生って子どもの味方でしょう?なんで子どもにとって地獄で不信感生む場所になっているのよって。

そして娘に対して思ったこと。

「それでも他の子は学校に行っているのに、なぜうちの子はそれができないんだ。」だった。

冒頭の言葉もそうだけど世間体と他の子との比較。ここから自由になれたら私自身も娘ももっと楽だっただろうな、と思う。

他人の子が不登校だったらこう言える。

「そんなに嫌だったら無理に学校行かなくていいよ」って。でも自分の子に対しては学校に行って欲しい気持ちを消すことはできなかった。

仕事はどうしていたのかというと、この時は一日5時間程度のパート勤務をしていた。子どもを置いて仕事に行くしかない。

泣いて布団に潜り込んだ娘を置いて出勤した。幸いもう小6なので一人でお留守番はできた。お昼ごはんはどうしていたんだっけ?お弁当を作って行ったり、冷凍食品を食べておくように置手紙を残していったりしたと思う。この時期あまりに大変で記憶があいまいなのだ。

でも仕事中の私の携帯によく電話が来ていたことは覚えている。登校できなくて再び布団に入ってお昼近くまで寝て、起きたくらいで「お母さん、何時に帰ってくるの?」と電話をかけてきていた。

中学校に入学後再び不登校に

中学校は受験をして入学。環境が変わり学校に行けるようになった。とはいえ、OD(起立性調節障害)がすぐに改善するわけではなく、朝起きられないとか立ち眩みとかで朝が大変なことには変わりはなかった。

それでも中一の夏休み前までは順調に登校していた。友達もできて、成績もそこそこ取れていた。それが一気に崩れたのは夏休み明けだった。

まず、仲の良い友達が変わった。そしてスマホの使い方が変わった。我が家はスマホの使い方には注意を払っており、使用サイトや使用時間を制限していたのだが、いろいろな技を駆使してその制限を突破するようになった。制限時間を破るから朝起きられない。無断で友人とSNSやネットショッピングに興じるようになった。

学校も部活も休みがちになっていった。成績も急降下。

最後、この友人とSNSトラブルを起こしたことが引き金となり不登校へ。

ここから引きこもり生活が始まり、そのままコロナ禍による休校へ突入。娘は半年くらい学校から遠ざかった。

ちなみに、時を同じくして小学生の次女もクラスの学級崩壊という問題を抱えていた。学級崩壊状態の中に身を置くというのは、それだけでストレスが溜まるそうだ。結果、次女も登校を渋るようになった。前年まで皆勤賞だったくらい元気な子だったのだが三学期は時々欠席するようになった。

これが我が家の不登校体験だ。

不登校児の親が抱えるストレス~「学校への欠席連絡」という拷問

「〇年〇組の〇〇です。今日“も”欠席します。」

たったこれだけ。でもこの欠席連絡をしなければならないということが不登校児の親をすごく追い詰める。

完全に不登校となってからは逆に「学校に行く日に電話することにします」でOKになったのだが、その前段階がとにかく大変である。行ったり行かなかったり、の五月雨登校の時期である。

朝起こす。起きない。「今日は学校に行けるのだろうか?行って欲しい」、という思いで起こす。この「行って欲しい」という気持ちがあるから辛い。それを察して苛立つ娘とのバトルを経て、結局娘が「休む」と言う。この瞬間、はぁぁぁ今日もダメか…とがっくり。

まずこれを経て、気持ちがぐわわんと落ちている状況で学校へ電話をするのだ。欠席連絡は〇時〇分まで、と決まっているからのんびりもしていられない。

欠席連絡の方法は、電話かFAXのみ、という学校もあれば、連絡帳に記入して近所の子に託す方法のみ、という学校もある。どちらにしても親の負担は大きい。連絡帳方式は近所のおうちに「あぁまた休みと思われるんだろうな」と嫌な気持ちになるし。

これが毎朝毎朝毎朝なのである。だんだんと電話することが心の負担になり、職員室の電話番号を見ても発信ボタンを押せなくなっていった。また、日によっては連絡時間と私の出勤時間が被ることもあり連絡が難しかった。

そこで学校関係の連絡はすべて夫にやってもらうことにした。が、ADHDで夜型で激務の夫。任せても連絡を忘れられた・・・。

そんな時、不登校児の母として先輩の近所のママ友から

「逆に登校するときに電話連絡します、と学校に言うといいよ」

とアドバイスを受けた。早速学校にそのように言ったところ、「それはダメ、毎朝電話してください。」との返事。今の私ならここで引き下がらずに、「いや親にとってすごいストレスなんですっ」と訴えただろうけれど、当時はまだ学校に対して弱気すぎる母だった私。

結局下記のような流れで解決しました。

1、月曜日に連絡するときに「今週いっぱいは欠席します。」という。

本当に今週いっぱいかどうかは子ども次第なんだけど、とにかくこれで毎日から週一に連絡が減らせる。

2、しばらく1を続けたのち「もう学校に行くときだけ連絡しますね」という。

この流れにしたところ、学校側も了承してくれた。

私ももう今週いっぱい休むと言ってある、と思ったら開き直れて気が楽になったし、「今日は行くの行かないの?学校に連絡しなきゃいけないんだから!」という娘との朝バトルも減った。

続く・・・





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