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母と娘の再構築4-母の家出とそれから。

あーなんかしんどいです。
仕事が立て込んでいたこと、下の子が反抗期ですぐにイライラして当たること、物価高で食費高騰中なこと、
悩みはつきませんね。どっか行きたーい!と思っても、娘たちそれぞれに予定があり、それをサポートする必要があるため自由にもなれません。

愚痴ばっかりでお目汚し失礼。

この記事の続きです。
長女をおいてホテルへ逃げたあと、です。

次女は一日休ませたのち、ホテルから小学校へ登校。
私は仕事へ。

長女は父親とともに緊急でかかりつけ医に診ていただき、頓服薬の処方と、それから「もう大量服薬をしない」と約束したそうです。
長女からは大量のLINEが私へ届いていました。

オーバードーズについては

「全然記憶にない。」
「ただ眠りたいから飲みすぎただけ」
とあたかもうっかりと書いてあることもあれば
「消えてしまいたかった」
と希死念慮が書いてあるときもあり、一貫性がない。

そして
「いつ帰るの?」
というLINEが何度も来ました。

帰ってきてほしいんだろう。
どんだけぶつかっても母親を求めるだな。
一番つらいのは娘だろう。

だからここで私がふんばらなきゃどうする。
…とは思えませんでした。

オーバードーズの前、娘は学校に行けない日が多くなっていて、
メンタルはかなり落ちていて、私のこともよく責めていました。
彼女の中ではなぜか記憶が変わっていて、私は受験生時代塾の送迎をしていたのに、していなかったとなっていたり。
責められることにも、責める内容が事実と違うことにも参っていました。

希望して頑張って入った高校に行けないという事実も辛かったし、一刻一刻と留年の危機が迫りくることも辛かった。

「あなたも変わらないと。お母さんは帰れない」
とLINEしたあとにこんな画像が送られてきました。

誰かのツィッターの書き込みでした。

「自分で産んでおいて思っていた通りの健常な子じゃないから私辛いんです、って身勝手だな。
自分が産んだんだから、自分が種の遺伝子のせいでそんな思いするんだよ。産んだんだから。
なんでこんな思いをしなきゃいけないのか、と一番思っているのは子どもだよ、頼んでもいないのに、マジョリティと違う脳で生まれさせられて。
「なんで子どもがこんな思いをするの。みんなみたいに成長したかった。」

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子どもの立場からの誰かの投稿でした。
以前、ツィッターにADHDの診断書の画像を上げて、身を投げた青年がいました。

みんなと同じにできない人生が辛い。

これだけ多様性だ合理的配慮だと言われるようになっても、やっぱり辛い思いをしている人はたくさんいるのでしょう。
親は、どうしてあげればいいのか。

医療につなぎ、ときに薬に助けてもらい、カウンセラーとつながり、学校と合理的配慮の相談をし、本を読み講演会に行き、知識をためてきました。

娘も成長し、自分の特性が理解できるようになってきたところであり、私も成長してだいぶ娘に合わせた対応ができるようになってきたところでした。

ほかにどうすればよかったのか。
なにが悪かったのか。

一つ言えるのは、環境が悪かった、ということ。
娘の環境じゃなくてね、私の子育ての環境、状況。

定型児だってシングルで一人で育てていくって大変なんですよ。
でも我が家は難易度の高い発達障害児、さらに下の子も難しい年頃。
そんな二人のケアしながら、お金稼ぎながら、家事もしながらって、そりゃあ子どもに正しい対応する余裕がなくなって当然なんですよ。
私、無限の体力持ってるわけではないもの。疲れるし、疲れたら心の余裕ないし、一人でやっていく孤独に時々泣きたくなるし。

ここでね、せめて家事を助けてくれるとか、一緒に考えてくれる人が「家族」にいれば違ったと思うの。
何度も書いているように、相談できる人はいました。でも実際に家事育児を代わるとか、物理的に助けてくれる人はいなかったのです。

もう少し余裕がほしい。
だれか手伝ってくれる人がいれば。
一緒に子育てしれくれる存在がほしい。

いつも思っていました。
それがあればいつだってもう少しいい対応ができたのかな、と思うのです。

さて、このとき緊急で呼び寄せた元夫はどう対応したか。

まずキレてました。
元夫も仕事があるわけです。そこにいきなり呼びつけられ、娘のそばでテレワークすることになりました。

「道具が足りねぇ!仕事できない。買ってこい!!」
とまず怒られて。
次に児童相談所について。
夕方に緊急で担当福祉司さん心理士さんが面談をしてくれることになり、その時間はたしか17時過ぎだったか。
(児相の方々はいつもいつも仕事をしている私に合わせて夕方閉所後に時間を作ってくださるのです。)

元夫も同席することになり、時間も伝えて了解をもらって待機していたところ
「そんな時間仕事で行けないに決まっているだろ!!」とドタキャン。

もうなんで?なんでなんで?でしたね。

児童相談所と緊急面談をして、いつものように福祉司さんや心理司さんに専門家としての解説、分析をしてもらい、私も少し落ち着いて娘の心に思いをやれるようになりました。

なんだかんだ言っても心配でたまらないこと。
なんだかんだ言ってもそばにいてあげたいこと。
それがやっぱり私の本心で、私は自宅に戻り、長女を育てていくことにしました。
あと次女がこの状態に限界だったということもあります。

元夫に、児相の説明や今後の対応を共有したところ、

「私があなたの考えに同意しないということは知っておいてください。
相談相手にはならないです。私の考えで行動します。」

というLINEが元夫から送られてきました。

娘をお願いするにあたり、児童相談所の心理司たちと話てきたたことを共有し、言葉をつくして経緯を説明し、私の気持ちも伝え、今後の対応についても相談した結果を送りました。
その結果がこのLINEでした。

期待しちゃいけないけれど、期待していました。
離婚後一人で育ててきた私へのいたわりとか。

もう二度と頼るのものか、と固く決意しました。
そして今に至るまで、もちろん養育費は頂いていますが、元夫は一切の育児には関わっていません。





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