私と父の話
今でこそ、治療に協力的で週に2回会い色々な話をしながら、とても私の心によりそってくれているけれど、過去の父親は脅威そのものでした。
幼少期
・家庭内での母との会話はぼ皆無
・父の勉強中に物音を立てると怒鳴る
・父の帰宅する時間にはテレビはついていては行けない
・テレビは一日30分まで(くだらないバラエティ、アニメNG)
・ とにかく自分の仕事だけ
・ゲーム機なんて問題外
なので、当然クラスなどでの会話についていけず番組を見た振りをして話を合わせたり、とにかく居心地が悪かったです。ゲーム機に関しては父方のおばあちゃんが説得してくれたおかげで、ゲームボーイはGETしました。(カーヴィー懐かしいな〜)
思春期
・携帯は持たせない
・18時までに帰らないと怒る
・外泊問題外
・相変わらず夫婦の会話ほぼ皆無
・だらしない服装や、派手な服装も怒られる
やっぱり我慢我慢我慢..の日々でした。
しかし、高二の頃に一年だけ母と別居をしてくれたので、その間に夜遊びを覚えました。念願の携帯も渋々持たせてもらい、初の髪の毛を染めるというイベントもできました。この頃初めてのタトゥーを見えない場所に彫ります。
摂食障害になった当初
・思春期によくあることだと
・ちゃんと食べろと
・どうせ吐くなら食べるものはなんでもいいだろ
・母が相談しても聞く耳持たず。我関せず。
私と母は、私の発症を機に神奈川で2人で暮らしていたのですが、父は普段の私を見ていない状況にあり、たまに会っても私が猫をかぶり萎縮していたので過食嘔吐「ありのままの私」を見せることもありませんでした。母に私のことは任せ切りだったのでしょうね。
母が倒れた2年前から
・母が勧めた摂食障害の本を読む
・私とコミュニケーションを図ろうと努力しだす
・父の前で化粧をした自分を見せることが怖くなくなった
・過食嘔吐が辛いものだと以前より理解を示す
・併発している障害への理解
・やたら気を使うようになる
母が倒れたことにより、完全に孤立された私。
今まで母に全てを任せていたため、食材の買い出し、お金の管理、炊事洗濯、書類などの手続き。
何も出来ない私のサポートをしてくれるようになりました。
治療を始めてから
・父に不安なことを言える
・嫌なことを言える
・私の気持ちを理解しようと沢山の本を読んで、父なりに勉強している
・私が不安を感じない空間を作る努力をしてくれる。
まだ全てを言えているわけじゃないし、過去の父の態度を思い出した時は父のことを突き放したり、憎む気持ちを捨てられた訳ではないけれど、今のところ順調に改善されていると思います( ˙◊˙ )
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